グレッグ・イーガン『ひとりっ子』(激しくネタばれ)

ひとりっ子 (ハヤカワ文庫SF)

ひとりっ子 (ハヤカワ文庫SF)

それまで読んでいた小説があまりにヒドイので、とうとう我慢できなくなってこちらを優先。期待にたがわぬ面白さだったので、そうしてよかった。
以下、各短編の感想など(繰り返すが、超ネタばれ)。

  • 行動原理

脳を再結線して望みの精神状態をもたらす「インプラント」というガジェットが登場するのだが、ギブスンのスプロールシリーズか、エフィンジャーのブーダイーンシリーズを連想させる。と思ったら、訳者のあとがきに『重力が衰えるとき』への言及が。
「ぼくになることを」とともにこれがイーガンの出世作ということらしいが、人間性に対する距離の置き方がいかにもイーガンらしい。

  • 真心

「行動原理」と同じく、「インプラント」をテーマとした作品。
ふたりの愛をその最高潮の状態で固定するインプラント「ロック」を使用した夫婦の話。結果として確かにふたりは幸福ではあるのだが、「いま以上を望むことは、絶対に不可能なのだ。」

  • ルミナス

これは『90年代SF傑作選〈下〉 (ハヤカワ文庫SF)』で既に読んでいたので、再読。
最初に読んだときには、数学的直観主義がメインテーマかと思ったが、それプラス人間原理、みたいな。
この短編の核となるアイディアについて、主人公が「…理論としてだけでも理解できるのは、地球上でほんの数十万人だろう。」と発言するのだけど、ある意味自虐的?

  • 決断者

「性交は…唯我論の唯一の治療法だ」←名言である。
決断者、つまり常に決断しつづける、個人のアイデンティティの核をなすもの。主人公は、そのようなものなど存在せず、少数のパターンとそれらをつなぐ接点があるだけだという事実を見いだす。人間の精神は即物的な機械に還元できるという、イーガン流身も蓋もなさの真骨頂。
「そこにはなにも存在しなかった。人を殺して捧げる相手も、死ぬまで守りとおすべき心の中の皇帝も。」という科白はペンローズの『皇帝の新しい心―コンピュータ・心・物理法則』に対するアイロニーかと思ったのだが、この後の短編を読むにつれ、その邪推は確信に近いものに。

  • ふたりの距離

「ぼくになることを」にも出てきた、脳の挙動を模倣する「宝石」というニューロコンピュータと、クローンをうまく組み合わせた話。
つきつめて考えると唯我論に帰着してしまうというのは、無理のないことに思える。その一方で、この作品の主人公が考えるように、他者の自我も自分のそれと大差ないであろうことも想像に難くない。というか、たぶん真実だ。だが自己と他者とが全きひとつの精神を共有したときに何が起きるか。主人公とガールフレンドは、「いっしょにいても、ひとりきりでいるのと変わりがなく、ゆえにわたしたちには、別れるほかに道がなくなる」。一見すると、人間は他者の存在を求めざるをえないと主張しているように思える。ただし、その他者とは、「決断者」で述べられたような機械に過ぎないかもしれないし、この場合は本当に機械知性なのだ。というのは、この主人公もガールフレンドも、すでに<スイッチ>している(生体の脳は「宝石」に置き換えられている)からだ。
ところで、このカップルは「宝石」とクローンを駆使していろいろな性愛のパターンを実地に試すわけだが、主人公のガールフレンドの体をクローンして、主人公はそのクローンの体に入ったりもする。肉体的には完全な自己愛といえるわけで、佐藤史生の「塵の天使」を思い出した。

いわゆる歴史改変ものであるからか、イーガン作品としては異質さを感じる。
ダグラス・ホフスタッターが、『ゲーデル,エッシャー,バッハ―あるいは不思議の環』を著していながら、なぜ強いAIの存在が可能であると信じていられるのか、ずっと疑問だった。しかしこの作品の中で、演算を行うことで自意識をもつような存在は不完全性定理によって否定されると説く論客に対して、主人公は反論する。自然数の存在も他者の存在も知らずに育った子供には演算は不可能だが、その子供には魂はないのかと。
おれ自身、ルディ・ラッカーの数学ノンフィクションや前述の『皇帝の新しい心―コンピュータ・心・物理法則』をかじって以来、強いAI否定派に回っていたが、ちょっとゆらいできた。
訳者あとがきによると、C・S・ルイスをモデルにしたほうの登場人物に不完全性定理を入れ知恵したのは、若き日のペンローズだという。これは確かに納得できる。とするとやっぱりペンローズはおちょくられているようだ。
タイトルにもなっているオラクル、つまり停止問題を解決する装置と、不確定性原理による平行宇宙への分岐とは無縁の存在らしい「ヘレン」とが、どういう関わりがあるのかが正直なところよくわからない。

  • ひとりっ子

「オラクル」にも出てきたヘレンの誕生物語。なるほどそういう経緯だったのかと感心してしまったが、イーガンにしては珍しいギミックではないだろうか。
多世界解釈への脅迫観念に支配された夫婦が、演算結果が世界の分岐を生じない量子コンピュータを開発し、人工的に製造された有機体の意識として働かせる。それがヘレンなのだ。
そしてまたまたここでもペンローズはかなり虚仮にされていて、主人公は己の脳から量子効果をとりのぞく実験に参加することまでするのだ。



短編集全体として、既出のものと比べると、科学・数学的ハードルは高いと思う。ただ、構成が絶妙なので、最初の短編から順番に読んでいくと、まるでひとつの長編だったかのような読後感がある。そしていつものように、全体を貫く身も蓋もなさ、シニカルさ、冷たさが、たまらなく心地良い。
でも、ペンローズの扱いがちょっと可哀想:-P。