ウィリアム・ギブスン『パターン・レコグニション』

パターン・レコグニション

パターン・レコグニション

初版発行が2004年5月だから、丸3年も放ったらかしにしてしまったことになる。
この間まで読んでいたのがダン・シモンズということもあって、ある意味それとは対局にあるディテールの洪水というか、細部への執着が相変わらずものすごくて、最初はややとまどってしまったのだが、ギブスンの文章は例によって波に乗りさえすればスラスラ読めてしまう。
主人公のケイスは(この名前も含みがあるのだろうが)、企業のロゴ・マークやキャラクターが大衆に受けるか受けないかを一瞬で判断できるという特殊能力の持ち主。ただし代償として、極度のロゴ・アレルギーを持っていて、最初にミシュラン・マンを見た時には、吐いてしまったという。
まずこの主人公に、もう他人とは思えないほどの親近感を憶えてしまった。ケイスはもちろん着ているものにも一切のロゴが存在することを許さないのだが、服の裏のラベルも剥がすし、革製品に至ってはやすりで削り取ってしまうという。おれの場合はまあそこまではいかないものの、表にロゴや(デザインとしてであっても)文字が現れているものは決して身に付けないし、裏返して着るときのために、ラベルを剥がしたこともある。
特にケイスが嫌悪を抱くのは、例の、「猫も杓子もみんな持ってる、街歩けば…」(by少年ナイフ)のバッグである。あの、体調の悪いときの下痢便のような茶色の地に現れる、2種類のアルファベットを組み合わせた醜悪なロゴ・マークの偏執的かつ痴呆的繰り返しは、おれもとても直視できない。持ち主の人間性を判断する材料にはなるが。
さらに、ケイスはこのアレルギーのために、ロゴ・マークのない日本の「無印良品」を好むという。
…というように、ギブスンお得意の細部の書き込みがこういったおれ自身の個人的性質と偶然にも非常にシンクロしてしまったため、読んでいて嬉しくてたまらなかった。9・11テロが重要な意味を持っていたり、ストーリーの骨はいつものように宝探しなんだけど、そういう本質的なところはもうどうでもいいという感じ(半分嘘)。
ただ、発表されてからちょっと時間が空いてしまったということもあるのだが、あまりにも現在的な細部を描写しているが故に、同時性という点ではちょっとツライものがあった。ケイスが「ネットサーフィン」に使っているのはG4キューブでネットスケープだし、身に付けているのはMA-1のフライトジャケット(のレプリカ)だし。あと、日本のオタクをひっかけるために使った萌えキャラがルーズソックスを履いてるというのには、あまりにハズシすぎなんで、笑ってしまった。
ケイスが探し求めるのは、「フッテージ」と呼ばれる、短編映像の製作者。いつの間にかネットに現れて、そのあまりの完成度の高さと映像美とでもって、ある種の人びとを魅了するという。実際にこういうことが現在のインターネットで起こりうるかというと、正直それはちょっと怪しいとは思う。けれど、書かれた2002年時点のテクノロジー以上のものは決して現れない限りなく普通小説に近いこの小説でありながら、ジャンルを問われればSF小説であるとしか答えようがない理由は、こういうところにあると思う。「電車男」はこれよりも後だが、これをSFとは誰も呼ばないだろう。
とにかく、もっと早く読めばよかった。