円城塔『Self-Reference ENGINE』

Self‐Reference ENGINE (ハヤカワSFシリーズ・Jコレクション)

Self‐Reference ENGINE (ハヤカワSFシリーズ・Jコレクション)

2008年版の「このSFが読みたい!」で採り上げられていたのと、題名に惹かれたので読んでみた。
構成が凝っていて、まず目次が面白い。二部構成になっていて、第一部を構成する各話はページ順に並んでいるが、第二部はページの逆順に並んでいるのだ。目次は見開きになっており、第一部と第二部は丁度同じ話数で構成されているので、ぱっと見では左右対称だが並び順が逆という、実に変態的な仕掛けが目次ですでに現れている。
文章単体ではわりとわかりやすいのだけど、文章同士を関連づける論理が今まで見たことがないタイプのものだからか、読み始めのほうは難しく感じた。でも、その論理あるいは論理の不在にいったん馴れてしまえば、あとは楽に読めた。
題名から予想されるとおり、とにかく自己言及的な叙述がよく出てくる。だだし自己言及文とはいっても、例えば『G.E.B.』における柳瀬尚紀訳の部分のように、計算しつくされたパズルのようなものではない。むしろ論理的には破綻していたり、説明を途中で放棄しているかのように、読者に投げつけておしまい、というようなパターンのほうが多いが、読み進めるにつれてこれが快感になってくる。
前述のように、二部構成であることや各話の並び順が意図的なものであることからして、構成自体に何らかの仕掛けがあるのではないかという予想をしていたが、見開きの目次で同じ行に並んでいる第一部と第二部の各話で非常に緩い関連性が窺える程度のものであって、ここでもやはりパズル的な要素は感じなかった。
近未来のある時点で、「イベント」と呼ばれる事象が発生する。この事象は、それまで一本の軸だった時間が複数の枝に分岐したりまた一本に収束したりといった、時間の混乱がこの宇宙にもたらされたことを指すらしい。ベイリーの『時間衝突』っぽいかなあなどと思って読んでいくと、さらに空間次元や平行宇宙間の混乱も見られ、時間を遡行することも可能になっていたり、各話で矛盾するような記述も見られることから、この事象はマクガフィンの一種ととらえたほうがよさそうだ。
また、あちこちに小ネタがちりばめられていて、『バベルの図書館』、『銀河ヒッチハイクガイド』、シャーロック・ホームズ、P・K・ディック、落語、クトゥルー神話、そしてもちろん『ディファレンス・エンジン』などなど…と、ジャンルを選ばない無節操さなのだが、この小説ではこれらのディテールに主眼は置かれていない。ギャグも意外に多いのだが、どちらかというとハズし気味。むしろ、それらのディテールやギャグにとらわれてしまうと余計に混乱するように、技巧を凝らして書いているのではないかと思われる。
この本は、「イベント」を軸としたエピソードで構成されている連作集の体をしている。だが、アメリカの田舎町から多宇宙全体の集合までとスケール感が大きく揺らいだり、自己言及という構造自体が、作者-小説-読者の関係性のメタファーになっていたりするところが、とても新鮮だ。三次元的なスケールの大小、時間軸の前後、平行宇宙への干渉といった、枠組の内部における対位だけではなく枠組そのものの多様性が、小説を読むという行為と小説そのものの関係性や、外宇宙と内宇宙の入れ子構造についての思索を齎してくれる。2のべき乗の数字が頻出したり、ある数学理論についてのメタ理論に関するエピソードもあるが、これはイーガン的な数理SFであるという印象を読者が受けるであろうことは織り込み済みだからではないだろうか。この作品のテーマはあくまでも文学的なものであるということを主張するための、あえての挑戦ではないかと思える。
ちゃんと理解しようと意気込んで読むと、すり抜けてしまったり思考の袋小路に嵌まってしまったりするので、少し飛ばし気味で読むくらいが丁度よく、それでいて読み終わってから色々と考えさせられてしまうという、これは結構すごい小説なんじゃないだろうか。