アンナ・カヴァン『氷』

氷

個人的に、サンリオ復刊第2弾。物語の季節感が、ちょうど『ハローサマー、グッドバイ (河出文庫)』の終わりの雰囲気と似ているので、偶然とはいえこの順番で読んでよかった。
ひとつの段落が長くて文章の密度が濃い。原文でも可能な限り装飾が省かれているのだろう、タイトルどおり冷徹な文章という印象を受けた。余計な説明が無いぶん、情景を想像しながら読まざるを得ないので、帯やカバーの折り返しにあるように「ヴィジョン」というキーワードがとてもしっくりする。
戦争で用いられた新兵器のために地球規模の気象の変動が起こり、氷河期が訪れようとしている時代。ある虐待されていた少女を救ったという過去を持つ主人公は、今や他の男の妻となった少女に会いにいく。少女とは無事に会えるものの、彼女は突然いなくなってしまう。何度かの邂逅と別離とを繰り返すのだが、その経緯は見方によってご都合主義的といえるものかもしれないけれど、この小説の場合はそのような経緯はむしろ些末なこととして切り捨てられているのだと思う。というか、タイトルの「氷」という言葉から受ける冷たさ、鋭利さといったイメージを、些事を描写しないことによって表現するという、これはこの小説ならではのスタイルなのだろう。
物語の舞台も、主に北欧のどこかであることがかろうじて説明されている程度で、他には主人公や少女、長官といった登場人物が出てくるものの、彼らの名前すら明らかにされない。世界のあちこちで戦争が起きているのだが、それらがどのような勢力間のものかも説明されない。主人公はどうやらスパイか特殊部隊員としての訓練を受けているようだが、それ意外の素性もわからない。
また、特に少女を探し求めているときに、主人公はよく幻視をする。主人公の一人称で語られる地の文からそのままの流れで唐突に、そこにはあり得ない情景(生まれながらにして被害者である少女が、更なる虐待を受けたり、時には惨殺されたりする)が語られるもので、「幻視」というような言葉で明示的に説明されているわけではないのだが。この幻視が、いわゆる幻想小説的な表現でもなければ、マジックリアリズムとも、ディック的なドラッグによる幻覚とも違う(作者はヘロイン中毒だったそうだが)独特なもので、もしかするとこの表現形式が、B・W・オールディスをして「唯一無二の作品だ」と言わしめた理由のひとつなのかもしれない。あえていえば、筒井康隆の超虚構作品群に見られる表現と似ているが、もちろんこの小説における幻視には、ユーモアのかけらもない。
これらの、冷徹さ、鋭利さ、読者を突き放すかのような表現形式、唐突に現れる幻視、主人公と少女の邂逅と別離と逃避行などなどが、世界の終末へと収束するという、これは確かに「ヴィジョン」としか言い表せないものだ。読み進むにつれて、この小説のひとつひとつの文章が、『氷』という本そのものが、触れるだけで怪我をする鋭利な刃物であるかのような錯覚をもたらす。
この作者の小説が他にもサンリオから出ていたそうだが、ぜひ復刊してもらいたい。このバジリコという出版社は今まで気にしたことがなかったけど、サイトを見ると、節操がないのかグラハム・ハンコックなんぞも出している。まあどこでもいいので、出してくれれば10冊くらい買ってもいい。
しかし、これはサンリオSF文庫が現役のときに読まなくてむしろよかった。当時のおれなら、たぶん途中で投げ出していただろう。唐沢なをきの『まんが極道 (BEAM COMIX)ま』の「センス オブ ワンダーくん」の回で、SF馬鹿がノンケの女の子にこの『氷』を読ませるというギャグがあり、このコマで「いきなり」という作者ツッコミがあるのだが、確かにこれは「いきなり」すぎる。
翻訳者の山田和子という名前に憶えがあったのでいろいろと本を引っ張り出して探したところ、コニー・ウィリスわが愛しき娘たちよ (ハヤカワ文庫SF)』の解説を書いていたのであった。解説自体は今となってはやや素朴さを感じるものの、さりげなく小谷真理とは意見が異なるという旨のことを書いていたので、記憶に残っていた。