伊藤計劃『虐殺器官』

虐殺器官 (ハヤカワSFシリーズ・Jコレクション)

虐殺器官 (ハヤカワSFシリーズ・Jコレクション)

『ハーモニー』に続いて読んでみた。
描きたい対象が、9・11以降の国際社会の様相のような大局的な構造にあるのか、それともテクノロジーや貧困、戦闘シーンなどのディテールにあるのか。どっちつかずだなあと思いながら読んでいたが、これはそのどっちつかずの今日的な状況こそをあからさまに描いた小説なのであった。
現在では、痩せたソクラテスよりも太った豚であることを選ぶのは、圧倒的に正しい。と同時にその逆もやはりいまだ正しい。いや、正しいか正しくないかなどという二元論で論じることこそがもはや正しくない。かもしれない。
序盤から頻出する音楽や文学作品、モンティ・パイソンなどのサブカルチャーに関する言及からはかなりの俗物根性を感じさせるが、それらも演出の一部であり、物語の終わりへと収束する過程で効果的に再び用いられる。これがデビュー作だから勢いで筆がすべったのかと思ったりもしたが、読み終えてみれば、ちゃんとよく練られていたことがわかる。
帯や裏表紙のあらすじには「近未来軍事諜報SF」とあるが、むしろこの小説のSFとしての中心的なアイディアは、『幻詩狩り』や『スノウ・クラッシュ』などの言語SFの系譜に連なるものであるといえる。商業的には、このようなキャッチコピーのほうが食いつきがよいのだろう。軍事はともかく、諜報に関しては素人目にも物足りないしご都合主義的な部分もある。というか、それらの要素はどちらかというと添え物のようなものだ。まあ、その惹句には読み終わってから気がついたので、幸いにして余計なバイアス抜きに楽しめたのだけど。