ウィリアム・ギブスン『スプーク・カントリー』

スプーク・カントリー (海外SFノヴェルズ)

スプーク・カントリー (海外SFノヴェルズ)

パターン・レコグニション』での教訓を活かして、早めに読んだ。といっても、出てすぐ入手したのに、半年ほど積んでしまったが。
主人公のホリスは、<カーヒュー>という現在はもう解散しているバンドの元ボーカル。物語は、ホリスが前作の登場人物でメディア産業の大立者であるビゲントからある依頼を受けるところから始まる。という導入部分は前作とほぼ同じ流れ。
他に、いわば家内制手工業的に非合法活動の末端を請け負う一族の若者であるチトー、経緯はわからないものの政府の捜査官らしき男に拘束され使役されるヤク中のミルグリムと、合わせて3つの視点から物語が語られる。この主な登場人物たちが、陰謀めいた流れに三者三様の巻き込まれ方をし、目的が何であるかがなかなか明らかにならない、一種の宝探しをさせられる。やがて3人は物語の焦点となる場所に引きつけられて……という構成は、解説にもあるように確かに『カウント・ゼロ』に似ているかもしれない。
時代設定は、これが書かれた2006年ということになっており、まさに現在を描いたものになっている。暗号化されていない野良Wi-Fiを探してネットに接続したり、そのときに使われるのがPowerBookで、Wi-Fi接続の手順から出力されるメッセージにいたるまでMacOS Xのそれだし、オフラインでの情報の受け渡しにはiPodが使われたりする。
ガジェットのひとつとして、臨場感アートとそれを可能にするためのバイザーが出てくる。この臨場感アートは、現実にはそこには存在しないものを、バイザーをつけた人間にだけ見せてくれるものだ。例えば、心臓発作で倒れているリバー・フェニックスや、空中でうねる巨大な大王イカを。最近読んだヴィンジの『レインボーズ・エンド』にも同様のテクノロジーが出てきて、『電脳コイル』のように実用的なプレゼンテーション技術として描かれていたのに対して、ギブスンの場合はあくまでも現存するテクノロジーかつアートという文脈で用いられるのが面白い。
ホリスが在籍していた<カーヒュー>というバンド名は、特に実在のモデルなどはないようだ。カーヒューというのは夜間外出禁止令のことで、ベトナム戦争当時のサイゴンでも布かれていた。ということで政治的なニュアンスのある言葉なわけだけど、そうすると例えばJoy Divisionみたいなポジションか?モリッシーの名前も出てきており、ホリスとの対比を仄めかされるし、他の登場人物の多くが<カーヒュー>の、特に学生時代にファンだったという。これらのことから<カーヒュー>は、左翼的傾向を持つ人々にカリスマ的な人気のあるバンドだったのではないかと推測される。というのはまあ妄想ではあるのだけど。
そのような妄想駆動体としての側面以外に、この小説全体に流れる雰囲気はある種の現在改変とでも言おうか、9・11もイラク戦争もあったけれど、ディテールが現実とは少しだけ異なる世界という趣がある。正確に言うと、『パターン・レコグニション』が(当時における)現在形のテクノロジーに拠って立つディテールそのものに主眼が置かれていたのに対し、今作では、そのようなディテールが非常に短いスパンで上書きされるというサイクルの速さこそが21世紀的な風景であり、テクノロジーやコンテンツの盛衰が織りなすスペクトラムのスナップショットが「現在」というものの定義となっているのではないか、という主張があるように感じた。
物語の終盤で、3人の目的がやっと明らかにされるが、まあここはやや青臭いかなあと思わないでもない。とはいえ、ホリス、チトー、ミルグリムの3人とも、それぞれの未来に希望(とほんの少しの不安)が窺える大団円となってくれてよかった。