ジェイムズ・P・ホーガン『黎明の星』

黎明の星 上 (創元SF文庫 ホ 1-25)

黎明の星 上 (創元SF文庫 ホ 1-25)

黎明の星 下 (創元SF文庫 ホ 1-26)

黎明の星 下 (創元SF文庫 ホ 1-26)

積んでいるうちに、作者は帰らぬ人となってしまった。参ったな。
そういう感傷があるのは否定しないけど、それでも前作『揺籃の星』よりも楽しめたような気がする。
天文学、生物学、進化論、物理学といった現代の自然科学がことごとく否定され、前作でもそうだったようにほとんどトンデモと言ってもいいような理論が展開する。だけど、ここでホーガンが本当に言いたいのは、いわゆる常識とか定説などと呼ばれているものに囚われず、事実を事実として受け止めてそれに合致するパラダイムを再構築しつづけていくことこそが本来の科学なのだ、ということだと思う。……というテーマは、『星を継ぐもの』から一貫していることだけれど。
さらに今作では、政治というものが大きな比重を持っている。作中に出てくるクロニア人社会の制度は、イーガンの『万物理論』のそれにもかなり似ていて、あまりに性善説に偏り過ぎていて個人的には懐疑的なんだけど、前述の自然科学への態度も含めて、こういう楽観的な視点こそが今の時代では大きな意味を持つのかもしれない。
氷河期以降の文明の急速な発達や神話や伝説などを太陽系の天文学的擾乱にこじつけるというのは、この小説の持ち味なので、ここはニヤニヤしながら読めばいいと思う。ただ、前作のカタストロフィーからほんの数年しか経っていないのに、人類は穴居人レベルにまで後退してしまうだろうか。まあこれは、前作と同じ人物を登場させるためにはタイムスケールをこうするしかなかったのかも。文明の記憶が地球で生き延びた人々から急速に失われてしまったことは、いわばペンローズ流の、意識を量子力学で説明するというアプローチの片鱗が窺えるので、そういうプロットも構想されていたのかもしれない。
あと、生き延びた生物たちが激変した環境に異常な速さで適応しているのは、遺伝子にはもともとそういうメカニズムが用意されているからで、たまたま発現した形質が有用であった場合にはその形質は遺伝する、という理論が出てくる。このときに、「ラマルク説にそっくりとまではいかなくても、危険なほどそれに近づいている」という表現がされている。ホーガンのこういうユーモア感覚は、たまらなく好きだ。
三部作の結末を読むことができないのは残念でならないけれど、読後感はとても清々しかった。