パオロ・バチガルピ『ねじまき少女』

ねじまき少女 上 (ハヤカワ文庫SF)

ねじまき少女 上 (ハヤカワ文庫SF)

ねじまき少女 下 (ハヤカワ文庫SF)

ねじまき少女 下 (ハヤカワ文庫SF)

温暖化の影響で海面が上昇しているために、堤防とポンプとでなんとか水没を防いでいるタイが舞台。この時代、石油が枯渇していることと、前述のように環境破壊が進んでいるため、現在のように熱交換を源とするエネルギーを使用することはご法度、もしくは金持ちや権力者の特権となっている。電力も供給されておらず、メタンガスの使用は制限されている。
では主なエネルギー源は何かというと、「ゼンマイ」つまり運動エネルギーなのだ。そのゼンマイを巻くのは遺伝子改造された象であり、ゼンマイ工場では象使いたちがひたすら象にゼンマイを巻かせるという作業を行っている。前述のように電力もままならないので、ラジオは手回し式だしコンピュータは足踏み式。
もうこの設定だけでもぐっとくる。一歩間違えば馬鹿話になってしまいそうな設定だが、現在の、特に3・11以降の日本の状況を考えると、あながち単なる絵空事と済ますことは難しくなってくる。また、過去にバイオテクノロジーの暴走があったらしく、遺伝子改造された動物が従来種をあっという間に駆逐してしまっていたり、人々は疫病に怯えている。
タイトルにもなっている「ねじまき少女」は、知能や運動能力を強化された「新人類」であって、決して「ねじ」を巻くことでゼンマイ駆動する、『未來のイヴ』のようなアンドロイドではない。ただし、あたかもからくり人形のように、かくかくとした動きをするように遺伝的にプログラムされている。
とまあ、これだけの材料が揃っていれば、あとはストーリーなんかどうでもいいやという気にもなる。だが、やたらと賞をとったりオビに「『ニューロマンサー』以来の衝撃!」なんていう惹句もあったりして、期待値が高まりすぎたようだ。これはむしろSFファンよりも、エキゾチックな冒険小説を好む層に受けがいいんじゃないか。また、政治や企業間の競争など政治や権力に関するエピソードも多く、この点に関しては、ギブスンよりもスターリングのほうに近いかなと感じた。
途中で登場する天才遺伝子工学者による、「自然とは何か」という議論は自分とも考えが似ていることもあって面白く感じたし、生命や人類の新たな「進化」を暗示するラストもいい。
でも何かが足りない。特に、主人公のねじまき少女があまり魅力的だと思えなかったというのが残念なところ。たまに出てくる「マイ」という少女のほうが、キャラクターとしては面白かった。また、もう一人の主人公とも言えるガイジンがねじまき少女にずいぶんと入れ込んでしまうために、国を揺るがす事件にまで発展するのだが、彼がそれほどまでに少女に惹かれる理由が薄弱だと感じた。これが例えば、彼は彼女に遺伝子工学的なある種の背徳的な美を感じた、というようなエピソードでもあれば、納得できるのだけれど。
舞台が仏教国であるが故に宗教的な儀式や祈祷の類いがいろいろと出てくるが、これらの描写が、西洋から上から目線で見た東洋といったステレオタイプな体ではなく、そこに住む人々や社会の様子を生き生きと描くため、という意図は感じた。というか、もうそんな「国境」などないんだな。