グレッグ・イーガン『プランク・ダイヴ』

プランク・ダイヴ (ハヤカワ文庫SF)

プランク・ダイヴ (ハヤカワ文庫SF)

一時期イーガン自身が小説を書くのをやめていたようだけど、翻訳のタイムラグのおかげか日本ではわりと定期的に本が出てくれるので嬉しい。『TAP』が出たのは2009年だし、『スティーヴ・フィーヴァー』もあった。で、その表題作はそれほどハードじゃなかったので油断してたが、この『プランク・ダイヴ』はかなりハード。今まで日本で出た短編集の中では一番ハードかもしれない。でもS-Fマガジンで既読のものが結構多かったので、結果としていつものペースで読めた。これが初めて読むものばかりだとしたら、かなり難儀したかもしれない。
以下、各短編の感想を。

  • クリスタルの夜

これはS-Fマガジンで既に読んでいた。
そのときにも思ったけど、なぜAIに対してここまで倫理的にならなければならないのかがよくわからない。というのはイーガンのサイトで募った意見でも多数を占めたらしいが。有機物であれコンピュータ上で走るソフトウェアであれ、いかなる形式であっても知的存在と呼べるものであれば、その生殺与奪の権利を持つのは彼ら自身以外にない、ということなのだろうけど。これが「フェッセンデンの宇宙」なら、主人公たちが観察していたのは「生物」だったから、いわゆる「意識」や「魂」を持つであろうということがダイレクトに伝わってきた。だからそのような存在に対する読者の感情は人間に対するそれと同等のものになりえたのだろう。テッド・チャンの中編「ソフトウェア・オブジェクトのライフサイクル」とはまた少し雰囲気が違うか。
「意識」に関して、有機物とソフトウェアの違いはどこにあるのか。それはおれ自身の問題だな。

  • エキストラ

これは先日予習のために読んだ『祈りの海』に入っている「ぼくになることを」とちょっと似ている。
しかしこのどうにも助かりようのない救いのなさはどうだ。こういうのは大好き。

  • 暗黒整数

これも既読。「ルミナス」の続編だが、とてもよくできている。
ところで、大野万紀の解説では、この此方側と彼方側の関係は並行宇宙ということになっている。この世界観は、量子力学多世界解釈とは無関係だと思うんだが。たしかに数論に<不備>が生じたのはビッグバン直後の量子的ゆらぎに由来しているかもしれないが、これら2つの宇宙が同じ空間を占めていながら物理的な相互作用ができないのは、各々が異なる数論=物理学に依って立っているため。だから、暗黒物質にかけた「"暗黒"整数」なのではないのか。

  • グローリー

とうの昔に姿を消した種族による究極の数学の答えを得る、それだけのためにわざわざこんな手の込んだ恒星間航法を用意するというユーモア感覚が素晴らしい。
それにしても、イーガンの宇宙では光速度不変の原理は絶対に破られないということで一貫しているようだが、これはSF作家としてはむしろ珍しいんじゃないだろうか。むしろそのおかげで、宇宙空間のスケール感と時間感覚に対する畏怖を感じると同時に、人間にはそれらを克服できるかもしれないという希望も沸いてくる。こういうところは、なんとなく堀晃を連想する。また、もしイーガンが超光速航法なり通信なりを小説に登場させたら、それはどのような原理によるものになるのか、非常に興味がある。

  • ワンの絨毯

これも『ディアスポラ』の一部分を改変したものなので、既読といっていいだろう。
あれ、ここに出てくる「イカ」には尊重すべき生命や意識が宿っているように強く思えるぞ。「クリスタルの夜」との違いはいったいどこにあるというのだろう?イカは人間その他知性体の介入を受けずに、(たぶん)自然発生したものだから?

これは未読。そして超難しい。とはいっても、相対性理論量子力学以上のものは出てこないのだけど。でもここに現れるビジョンには感動した。
ブラックホールに突入するのに、なぜ「プランク・ダイヴ」なのだろうと思ったら、なるほどそういうことだったか。10年くらい前だろうか、デイヴィッド・ドイチュの本を読んだとき、初めてオメガ・ポイントなる考えがあることを知って驚いたものだった。宇宙の終焉を待ってまで自らの復活を願う科学者というものが存在するのかと。まるで「パスカルの賭け」じゃあないか。

  • 伝播

これはわかりやすくて、かつ面白い。「グローリー」「プランク・ダイヴ」そしてこの「伝播」と、<探求者>シリーズとでも呼ぼうか。そういえば『ディアスポラ』のヤチマもそうだった。答えそのものを知ることではなくて、答えを探し続けることこそが人間の(あるいは知性を持つものの)真の目的であるという一貫したテーマにはとても共感する。


いつもながら、どの作品からも得るものが多い、たいへん素晴らしい短編集だった。
あとは、TeranesiaとかSchild's Ladderとかはいつ邦訳が出るのかな〜。