上田早夕里『華竜の宮』

華竜の宮 (ハヤカワSFシリーズ Jコレクション)

華竜の宮 (ハヤカワSFシリーズ Jコレクション)

2011年版の『SFが読みたい』で一位になっていたのでとりあえず買って積んでおいたら、去年のSF大賞に。ということで読んでみた。そんなきっかけでもなければ、これだけボリュームがあるとなかなか読む気にならないし。
ホットプルームの活性化により全地球的に海底が隆起し、そのため多くの陸地が水没してしまった近未来。平野部の激減により、多くの人類は海で暮らすことを余儀なくされ、「海上民」として遺伝子改変によって海洋での生活に適応していく。一方、陸地では従来の政治体制が維持され、農業や畜産業もそれなりに行われているようだが、やはりこれらは高価な産物であり、陸に住む「陸上民」は海上民に比べると裕福であるという印象。
海上民は「朋」とも呼ばれる、遺伝子改変によって生み出された生ける「魚舟」に住み、自給自足の生活をしている。彼らは「オサ」をリーダーとする船団を組み、自給自足の生活をしている。
ということで、人類は陸上民と海上民とに完全に分化してしまったが、海上民たちは旧来の国家の名残に固執する陸上民に緩やかに統治されている。というのも、海では突発的に異常発生するクラゲが発するウィルスによる致死率100パーセントの「病潮」に罹る可能性がつきまとうため、陸上の国家に支払う税金と引き換えにそのワクチンを接種する必要があるからだ。
というのがこの小説の主な背景。陸上と違って海上にはどの国にも属さない公海があるわけで、公海でのもめ事を解決する外交官「青澄」が主人公。ただし、この時代の陸上民は「アシスタント」と呼ばれる人工知性体とコンビを組んでおり、小説のほとんどのパートは彼のアシスタントである「マキ」による一人称で語られる。
うん、設定は悪くないし、主な語り手がAIというのも面白い。しかし今一つノリきれなかった。「長すぎる」というのも理由の一つではあるのだが、SFとして読むと細部にいろいろと納得のいかないことがあって、どうにも物語に没入できなかったのだ。例えば、前述のように人類が陸上民と海上民とに分化してしまうというのは、まあありうるとして、テクノロジーもこんなに差がついてしまうものだろうか。海上民の通信手段といえば、インターネットに類する全地球的な通信網どころか携帯電話もなく、せいぜい船団内で通じる程度の出力しか出せない無線機程度だ。魚舟どうしは音波で連絡を取りあうことができるようだが、それにしてもやりとりできる情報量はとても少ない。また、海上民がアシスタントを持たないのはなぜ?自給自足の海上民には手が出ないほどの高価なものだから?
また、その魚舟は、人間が母の胎内から産まれるときに一緒に産まれてきて、海に放流するのだという。やがてその人間が成長し思春期を迎えるころになると、自然にその人間の元に戻ってくるそうだ。だから、「朋」。もちろん、いきなり荒々しい自然界に放り出される魚舟が生き延びて一人前に成長できる可能性は低く、「朋」と再会できなかった海上民は誰か魚舟を持つ者の家族になるしかないのだろう。このあたりは、作中でもはっきりとした説明はされていない。前述のように遺伝子改変が相当に進んでいるので、魚舟が魚類を元に改変したのかそれとも海生哺乳類だったのかはわからないが、人間と一緒に産まれてきてやがてその人間の住居兼移動手段になるという設定にはちょっと無理があるし、せめてもっと効率的に魚舟を育成させる手段を工夫しようとするのが文明人というものだろう。というような疑問を抱いてしまう描写があちこちにあるのが、この小説の欠点。他にも、作者は海中でも電波による通信が可能だと思っているようなフシがあって、ちょっと驚いた。
もしかすると、これらの瑕疵は、後付けで設定を増やしたことによるのかもしれない。途中で何度か、え?そうだったの?というようなサプライズもあったし。
とはいえ、第二の主人公とも言える、ある海上民の秘密や、人類の存亡をおびやかすさらなる災厄の予感、それに対して一介の外交官にすぎない主人公に何ができるか、といったある意味日本SFの伝統ともいえる物語の進み方はなかなかよかった。これでもっと余分なところをそぎ落として物語の密度が高ければなあ。青澄の過去や性格がこの物語にとって重要な意味を持っているので、その描写に重きを置くのはわかるのだけど、上位の政治家と面談するためにまずスカッシュの試合をやる必要なんてないでしょ。
そういった冗長さや論理的な不整合さえなければ、21世紀の『第四間氷期』になったかもしれないのに。どうしても社会や政治方向に話が向かってしまうのは、小松左京賞出身だからか?
作者は海洋冒険SFが好きなようで、この小説も設定を同じくする海洋短編小説が元になっている。にしては、どうにも物足りなさを感じてしまう。別に大王イカや白い鯨が出てこなくてもいいけど、海ならではの恐怖、冒険、戦闘というものがあってもいいだろう。海洋SFとしてみた場合、星野之宣の漫画作品には遠く及ばない。後半の海中での戦闘シーンはまあまあ面白かったけど。
ということで、SF大賞受賞はいいとして、この作品はあまりに過大評価されているのでは、という疑問がぬぐえないのだ。