コニー・ウィリス『ブラックアウト』

ブラックアウト (新☆ハヤカワ・SF・シリーズ)

ブラックアウト (新☆ハヤカワ・SF・シリーズ)

ドゥームズデイ・ブック』、『犬は勘定に入れません』に続く、オックスフォード大学史学部シリーズ。しかしこの本、新銀背(つまり2段組)でありながら約750ページもある。しかもこれは二部作の前編で、後編はこれよりもさらに長くなるとのこと。後編は来年春に出る予定らしいが、それまで記憶が持続するかどうか……
出だしは例のごとく、降下(過去へタイムトラベルすること)の準備や頑固なダンワージー先生のせいでてんやわんや。それでもなんとか3人の史学生が第二次大戦中の時代へと降下する。3人の目的はそれぞれ、学童疎開、ロンドン大空襲、ダンケルク。降下する時期も微妙に異なっており、3つの視点で物語が語られる。しかし彼ら全てに共通の異変が起きていることがわかってくる。降下した場所は未来、つまりオックスフォード大学史学部と行き来するための出入り口(「ネット」と呼ばれる)なのだが、通常は何ら問題なく機能するはずなのに、未来に戻ることができない。また、降下した学生が予定どおり戻ってこない場合には「回収チーム」が彼らを連れ戻す段取りになっているのに、その回収チームもやってくる気配がない。
タイムパラドクスを避けるために、すでに確定している未来に影響を与えるような事象が起きないよう、重要な歴史の転換点の近傍ではネットが開かなかったり、時間や空間にずれが生じたりする。これは時空連続体に内在する根本的な原理のようで、ネットを使用したタイムトラベルにおける制約事項である。ネットが開かない理由がそこにあるのか、それとも未来、つまり彼らが元々いた時代のオックスフォードに何らかの問題が生じたのか……?
というのがメインのプロット。そこにさらにいつものごとく、やすれ違いや勘違いや早とちりといった作者が得意とするギャグやドラマがからんできて、ぐいぐい読ませる。手のつけられない悪ガキたちや飲んだくれの船乗りもどことなく憎めないし、ストーリーテリングは流石。
ちょうどロンドンオリンピックをやっていたので、セント・ポール大聖堂など本書にも出てくるランドマークも併せて見ることができてなんだか嬉しい。
本書の唯一の欠点は、この本の構造そのものにある。厚さにして約4センチ、しかも文庫サイズじゃなくて「ポケット・ブック版」(という名に反して、とてもポケットに納まる大きさじゃあない)なので、片手で持って読むことが出来ない。とくに序盤と終盤なんか、バランスが悪くて机の上に広げるようにして読むしかなかった。これは2分冊で出して欲しかったところ(続編はさすがに2分冊になるらしい)。
以下、続編に向けての覚え書き。


序盤のオックスフォード大学でのゴタゴタに、続編へのヒントがありそう。コリンが話していた、またダンワージー先生がわざわざ面会に行ったという「イシカワ博士の説」。タイムトラベルが時空連続体に与える影響は少しずつ蓄積されてゆき、それがいずれ大きな問題になるかもしれないということを仄めかしており、これは3人の史学生のネットが開かなくなってしまったことと関係があるのかもしれない。けれどもウィリスのことだから、ミスディレクションなのかもしれない。
あと気になるのが、中盤まで何度か挿入される、1944年のエピソード。この部分が人物紹介に載っていないというのが非常にクサイ。3人のうちのひとりポリーだけは1944年パートで唯一名前が出てくるが、彼女はVEデイをすでに経験しているので、1944年から45年にかけて降下していたときのエピソードなのかもしれない。同一人物が同じ時代にタイムトラベルはできないという制約があるので、VEデイの1年足らず前のこの時期に再度降下するというリスクを負うとは考えにくい。
コリンの存在も気になる。『ドゥームズデイ・ブック』のように、またもジョーカー的な役割を演じるのか?本書の序盤ではそれを匂わせる描写があるが……
たぶん、メロピー、もといアイリーンにとっては不幸なことに、ホドビン姉弟とは再会するとみた。