もっと厭な物語

続編を希望、と書いたら本当に出たので、アンナ・カヴァンの『アサイラム・ピース』の勢いで続けて読んだ。前作は海外の作家によるものばかりだったが、今回は日本人作家も入ってる。
その日本人作家の一人である草野唯雄「皮を剥ぐ」はもう題名そのまんまの内容で、工事現場とそこで働く労働者の会話や生態が生々しく、だからこそこの厭なエンディングへとエスカレートする展開が活きてくる。今なら、平山夢明が書きそうな話。
クライヴ・バーカーは一度は読んでおきたいと思っていたのだけど、「恐怖の探求」は、ジャック・ケッチャムの『隣の家の少女』を思わせてもう最低だ(褒めてる)。
今回も解説の後に一編が収録されているのだけれども、これがものすごいブラック・ユーモアで、厭すぎて笑ってしまった。しかもこれはC・L・ムーアとヘンリー・カットナー夫妻の合作だそうで、この二人が夫婦だったことは初耳だったのだけれども、SFファンとしては嬉しい。
そしてこの巻での最大の収穫はシャーロット・パーキンス・ギルマン「黄色い壁紙」。この作者は時代や貧富の差こそ違えどアンナ・カヴァンに似た境遇にあったようで、そのためか狂気と現実の境目が曖昧なところに否応なく惹きつけられる一部の人種は嵌まるだろう。
この小説は最初から不穏な空気に満ちていて、主人公が治療と称されて半ば幽閉されている部屋はもともと子供部屋だったというが、この部屋の荒れ具合や題名にもなっている壁紙の破れが、なぜできたのか。その可能性はいくつか考えられるが、どれをとっても厭な結論しか出てこない。
そして主人公は壁紙の模様が動いていると主張するが、その真実は?これも、主人公の狂気の産物であると決めつけるわけにはいかない。少なくとも、ただの幻覚である、などとは。単純にこれは超常的な現象であるとしてしまうのも短絡的だ。主人公が狂気に陥っているのはおそらく間違いないが、ある種の真実をその狂気によって壁紙の動きと結びつけている、あるいは抑圧された環境にある彼女はそのように認識することでより深い狂気に陥ることを無意識に避けている、というような想像/妄想も可能では。そして、ラストの一文の意味は?
全文がここにあるので、気になった人は読んでみて。