グレッグ・イーガン『ディアスポラ』

ディアスポラ (ハヤカワ文庫 SF)

ディアスポラ (ハヤカワ文庫 SF)

まず、「孤児」と呼ばれるソフトウェア知性が創出される。彼が創出されるのは、「ポリス」と呼ばれる、意識を持つソフトウェア達の社会らしい。この創出のシーケンスが、こういうプログラムを作れ、と言われたならそう作るであろう設計になっていて、のっけから引き込まれる。
続いて、創出された孤児「ヤチマ」に自意識が芽生える過程が描かれる。外界、つまりポリスが予め持っているリソースの自分以外の部分とコンタクトして意味を見出し、自分と同様の他のソフトウェア知性の存在に気がつくのだが、まだ彼には自他の区別がついていない。「入力ナヴィゲーター」と呼ばれる感覚器に相当するソフトウェアを介して自分自身をも外部から見ることができることにもよるのだろうが、最初は自身をポリス市民の一人としてしか認識していない。だがやがて彼は、その市民だけが自分の望みどおりに振舞うことに気がつく。そしてそれは、「ヤチマが考えているとわたしが考えているとヤチマが考えていると私が考えて…」という無限後退に発展するが、その無限後退が崩壊する瞬間こそが、自己認識に至る瞬間だった。さらに、この自己認識をポリスのソフトウェアがチェックすることによって、ヤチマは意識を持った市民であると認められる。
つまり、ゲーデル的な袋小路を自ら飲み込むことができる非アルゴリズム的実在こそが知性であるというわけだ。ところがその自己認識はアルゴリズムによってチェックすることが可能なわけで、この一見倒錯しているような見解はとてもおもしろい。
無事にポリス市民の一員となったヤチマは、数学に興味を持つようになる。彼が訪れる「観境」は、<真理鉱山>と呼ばれる。真理は既にそこにあり、定理は坑道を辿ることによって証明が得られるが、未証明の真理に到達するには自ら坑道を掘り進まなければならないのだ。このアナロジーも素晴らしい。
…と、だいたいここまでが導入部。いかにもイーガンらしい着想のオンパレードだが、密度も異常に濃くて、もう長編を二つ三つ読んだような気になってしまう。
そして、天文学的規模の大事件が起きる。連星を構成する二つの中性子星が、予想よりもずっと早く衝突して、ガンマ線バースターとなることがわかったのだ。これによって、まだ肉体として生きることを選択している「肉体人」を含め、地球の生命はほぼ絶滅してしまうであろうことが明らかになる。ヤチマは「グレイズナー・ロボット」を操って肉体人を説得しに赴くのだが、時既に遅く、なすすべもなく滅び行く地球を見守るしかなかった。
そして表題にもなっている「ディアスポラ」(宗教的な意味はまったくなく、ポリスを宇宙じゅうに拡散させてガンマ線バーストのような災害からのリスクを減少させ、またそのような災害から身を守る方法を模索するための離散)が始まるのだが、それに先立って、架空の物理理論「コズチ理論」に基づくワームホールを利用した超光速航法の開発が進められる。ところが、この計画は実験段階であっさり失敗してしまう。以後、この小説には超光速航法は登場しない。
結局、グレイズナー・ロボット達に遅れをとりながらも、通常の方法でポリスのコピー達は他の星系をめざす。そして、ここからが怒涛の大展開。ワイドスクリーンバロック的バカSF(もちろん褒め言葉)と言っていいくらいだ。
コズチ理論の修正版が発見され、この宇宙は、より「大きな」六次元「マクロ球」宇宙にとってのプランク長に折りたたまれた次元であり、この宇宙の他にも無数の宇宙が存在することがわかる。
構造自体が複雑な生態系を構成する見た目は単調な生物や、同位体の比率が明らかに自然ではない惑星。この惑星で、コズチ理論の修正版をものにした知的地球外生命「トランスミューター」がかつて存在し、彼らはマクロ球に旅立っていったということがわかる。ポリスはトランスミューターを追いかけてマクロ球に向かうが、そこで出会ったトランスミューターとは別な知的生命体と邂逅し、さらに次の宇宙へ、そしてまたコンタクト(「スター・ストライダー」)。
スター・ストライダーからは、コズチ理論の再修正版(三次元宇宙(U)→五次元マクロ球(U*)→宇宙(U**)…と、無限に連鎖すること)、それこそがガンマ線バーストの原因であること、そしてトランスミューターの手がかりをあっさりと得る。六千の文明が集まるU**に、離散していたポリス連合が受け入れられることになり、地球文明が再び集合するだろう。
だが、ヤチマと連れの「パオロ」は、トランスミューターの足跡を辿って無限の連鎖に旅立つ決意をする。「故郷の宇宙から二百六十七兆九千四十一億七千六百三十八万三千五十四レベル」で、トランスミューターが旅を止めたことと、彼らの姿を得る。パオロは自分の人生を「完結」することを選択するが、ヤチマは己がまだ完結に至っていないと感じている。彼が完結するには、「意識の不変量」すなわち、孤児として生まれてから、トランスミューターを求めて探索に赴きまた独りきりになるまでに、「変化しないままでいたもの」を発見しなければならないのだった。彼は再び<真理鉱山>に戻り、真理の探究を再開する。
 
まだ読み終わったばかりで整理がついていないが、何かとんでもないものを読んでしまった感じがする。
「宇宙の外」について描かれた小説や漫画はたくさん読んだが、これほど無節操に、そのじつ科学的・数学的説得力をもって提示したものはなかった。
あらすじには書ききれなかったが、細部や心理描写も優れている。自分がコピーされた後に「この」意識が「どの」コピーとして存在するようになるのかと待ち受けるというのは、ディックの作品にもなかったように思う。他にも、自分の思考をシミュレートするプログラムを走らせて意思決定の材料にしたり、肉体人が遺伝子に改変を加え続けていった結果、世界を認識する方法がまったくかけ離れてしまったので通訳が必要になってしまったりと、SFが新しいフェーズに入ったと感じさせるアイディアにはこと欠かない。
新しいといえば、この小説には、前述したように超光速航法や天文学的規模の構造物といった、今までのSFではお馴染みのアイテムが登場しない。これは作者の自信の表れなのか、意図的にそういった重厚長大なアイテムの描写を避けているように思える。最初のバージョンのコズチ理論によるワームホールを検証するための、冥王星の軌道の十倍に達する粒子加速器<長炉>というものが登場するが、その構成要素は一グラム以下という微小なものである。
主人公はヤチマということになるのだろうが、あまり活躍しない。というか、ほとんど観察者としての役割しか与えられていないのだが、読みながら『スキズマトリックス』を思い出してしまった。『スキズマトリックス』は、変化する社会、経済、政治をたくましく生き抜いていく人類が描かれているが、それらの変化の中心には常に主人公がいた。いっぽう『ディアスポラ』では、ヤチマは物語終盤まで変化の現場の周辺に見え隠れするだけだ。それでも、変化への対応のし方、どんな環境でも次元でも人間や生命はたくましく生きていくというテーマ、新しいSFを読んでいるという確信は共通しているように思う。
それにしても、専門家の足元にも及ばないが人並み以上には科学知識をもっていると自負している自分にとっても、かなり難しい作品だった。ここに出てくる理論については、一応自分なりに納得できるまで理解することを課して読み飛ばしはしないようにしていたせいもあって、読み終えるのに一ヶ月以上かかってしまった。予定に一日間に合わなくて元日に読了となったわけだが、2006年中に読み終わったSFとしてはベスト、というにはあまりにも気が早すぎるか。