谷川流『涼宮ハルヒの憂鬱』

涼宮ハルヒの憂鬱 (角川スニーカー文庫)

涼宮ハルヒの憂鬱 (角川スニーカー文庫)

というわけで、後学のために読んでみた。
意外にも、文体はハードボイルド。ただし、助詞を省略しすぎたり、誤った慣用句の使い方をしたりと、文章そのものは下手。作者が若いからかなあとも思ったが、巨乳の美少女キャラに対して「グラマー」なんていう形容をしたりして、ちょっとちぐはぐな感じがした。
まあ、そういうことを気にしてはいけない種類の小説なんだろうな。もしかすると、主人公をはじめほとんどの登場人物が今どきのゆとり高校生であることを暗示するための意図的な叙述手法なのかもしれないし、などと意地悪なことを考えながら読んでいたら、中盤から展開が加速して、急に面白くなった。バラードのときの10倍くらいの速さで、ありふれたスピードを超えて中盤以降は一気読み。こりゃ確かに面白いわ。
某所で、イーガンっぽいという評判を聞いていたが、『宇宙消失』や『順列都市』を思わせる場面があった。チャールズ・L・ハーネスの「現実創造」のもう一つの解のようでもある。ラノベという先入観なしに読めば、これは普通にSFとして読める。
宇宙人、未来人、超能力者が総出演と、古き良きジュヴナイルのようでもある。しかし、男の子向けのジュヴナイルの場合は、少年である読者が、やはり少年である主人公=ヒーローに感情移入することで、自分自身が超能力を発揮したり冒険をしているようなカタルシスが得られたものだが、この小説の場合はちょっと違うようだ。主人公はごく普通の高校生であり、物語の構図の中心にいるのはハルヒのほうだし、時間旅行などの特殊能力を持つのは他のクラスメイトたちであり、主人公の本名すら結局明らかにされない。これは、主人公自身を感情移入の対象とするのではなく、主人公の顔を髪の毛で隠すなどの匿名化により、主人公をとりまく状況に読者を没入させるという、ギャルゲー以降の表現形式ではないかと思うのだが、どうだろう。
その一方で、読者が女性である場合を想定してみると、巻き込み型のハルヒと巻き込まれ型の主人公、どちらにも感情移入できるのではないだろうか。これを読んだという女性が周りにいないので、よくわからんが。
主人公は意外に饒舌だが、一人称で語られている地の文をそのまま絵や動画にすれば、マンガやアニメになりそうな移植性の高い作りになっている。想像力が介入する余地があまりないので、古参の小説読みとしてはその点で物足りなさを感じてしまうのだが、これこそがラノベというキーワードを解く鍵のひとつかもしれない。
ところで、イラストは本当にこれでいいの?文章による説明と明らかに矛盾しているところがあるし(SOS団の最初の校外活動における朝比奈さん)、ラスト近くのクライマックスでのハルヒの表情くらい、想像するという愉しみを残しておいてほしかった。巻を重ねると上手くなっていったりするのかなあ?