筒井康隆『ダンシング・ヴァニティ』

ダンシング・ヴァニティ

ダンシング・ヴァニティ

例のラノベが出る前にこれを読んでおけとオフィシャルサイトに書いてあったので、読んでみた。
最近出た作者の本は概ね買っているけどずっと積ん読したままなので、断筆解除後に書かれた小説としては実質的に初めてまともに読んだことになる。久しぶりだったけれど、相変わらず個人的に文章の親和性が高いというか、読みやすくてすんなり頭に入ってくる。三つ子の魂百まで。
BSアニメ夜話」に出演した際に作者が話していた、「繰り返しの文学的意味」を追求した小説である。「繰り返し」といっても、単純に同じ場面を何度も繰り返すわけではない。物語の構造はフラクタル的になっていて、繰り返される大きな枠組みの中にさらに規模の小さい枠組みが繰り返すこのポリループという感じ。繰り返しがワンパターンに陥ることも、読んでいて飽きてくるということもなかった。こういう手法の小説を飽きさせずに最後まで読ませるというのは、さすがだ。ただし、読むのをいったん中断して再開すると、どこまで読んでいたかがわからなくなり混乱するので、一気に読むべきだったかもしれない。
エピソードが繰り返されるうちに少しずつ細部が異なってきたり、主人公を含めて登場人物たちも少しずつ歳をとるというような仕掛けもある。だからこの小説は、ジョージ・A・エフィンジャーのその名もずばり「シュレーディンガーの猫」のような平行宇宙SFであるという強引な読み方をすることも可能かもしれないが、そのような科学的な解釈は明示されない(終盤になってほんの少しだけ仄めかされるが)。説明をすればSFになり、しなければ純文学になる、というのもまた強引な理屈だろうけれども、本当にそう思った。
この小説では、SF、音楽、ドタバタ、ナンセンス、心理学、超虚構、老いや死といった、過去の作品のテーマがふんだんに盛り込まれていて、集大成的な面も見える。また、「ラポール」という心理学用語が何の説明もなく出てくるのだが、これはたしか『パプリカ』で既に意味が説明されていた用語であり、従って読者にはもはや説明不要もしくはその程度の用語は自力で調べることができるだろう、という意図も窺える。数十年に及ぶ作家活動で築いてきたリソースと自信があるからこそできる技だろう。
作者は現在73歳のはずだが、こんなに体力と集中力が要りそうな小説が書けるということからして、まだまだ活躍が期待できそうだ。なんとなく不死身だと思っていたアーサー・C・クラーク今日泊亜蘭が最近相次いで亡くなってしまったが、筒井康隆は過去の小説やエッセイであれだけ「死ぬ死ぬ」と言っておきながら、当分死にそうにない。