ロバート・チャールズ・ウィルスン『時間封鎖』

時間封鎖〈上〉 (創元SF文庫)

時間封鎖〈上〉 (創元SF文庫)

時間封鎖〈下〉 (創元SF文庫)

時間封鎖〈下〉 (創元SF文庫)

たまには出たばかりの新しいものをと思い、読んでみた。ヒューゴー賞受賞ということだが最近はこのような冠は信用できないので、できるだけ先入観を排除して。
上巻のオビには「突如、漆黒の界面に包まれた地球では、時間の流れが1億分の1に!」とある。時間の流れ云々を除けば、当然グレッグ・イーガンの『宇宙消失』を連想せざえるを得ない設定。
またこの「時間の流れが1億分の1に」というところだけを考えると、即座に様々な疑問が浮かんでしまう。だがこの小説では、これらの疑問の全てに対して明確な(空想)科学的説明がなされるわけではない。太陽や月その他の天体が発する電磁波や放射線、また重力などの致命的な現象に関しては、その界面(作中では「スピン」)が地球の生態系を守るように関与しているという説明がされるが、その作用の原理などは説明されない。だがこの「説明されない」ことも含めて、この小説の一部なのだ。
スピンが地球を覆ってしまったために空から星が消え、また人工衛星からも隔絶されたために全地球的な通信システムや測位システムも破綻したとなれば、個人レベルから国家レベルに至るまでの大パニックになると思うが、そのようなパニックや武力衝突、国家間の政治的駆け引きなどの枝葉についてはあまり細かい描写はされない。実業界の大物やその息子である天才科学者、アメリカ大統領や後に登場する最重要人物などと強いつながりを持つとはいえ実のところただの医者にすぎない主人公の一人称で語られるので、描写の内容は彼の目線からのものであり、グローバルな事象は登場人物との絡み合いの間から垣間見えるだけだ。
しかしこのストーリー・テリングが実に巧妙で、ハードSF、パニック、政治、軍事、恋愛、宗教などこれらのサブジャンルのいずれかに偏ることなく、主観時間で数十年の物語をスピーディーに展開してゆく。見え見えのように思えた伏線の収束がさらに重要なエピソードの伏線になっていたり、登場人物の性格や社会的地位、職業などがしっかりと物語に絡んでくる。ある謎が明らかにされたと思えばより大きな謎が新たに提示されたり、現在つまりこの物語を語っている瞬間の主人公と、語られている過去の交錯も面白い。芯にある物語が非常に強くて説得力があるので、科学的・政治的説明がおざなりにされているという印象は全くしない。
もちろんSF小説としても良くできている。地球外宇宙は主観時間の1億倍の速度で時間が経過するので、ほんの数十年で太陽は巨星化してしまう。いずれ地球は太陽に飲み込まれてしまい、そのときに「スピン」がどのようにふるまうかは全くわからない。地球の破滅を回避するために考えられた方法が、地球の1億倍の速度で時間が経過している火星をテラフォーミングして人類を送り込み、文明を進化させて解決策を研究させる、というものだった。設定(決して目新しいものではないが)とアイディアとが強力に結びついて、壮大なヴィジョンを提供してくれる。その火星で培われた文明と、人類の新たな進化の方向性が提示され、さらに「スピン」とは何なのか、誰がもしくは何がどういった目的で「スピン」を作ったのかといったことまでもが明かされる。
正直なところ、いくら物語の進行が早いとはいえ、ここまでの疑問全てに説明がつけられるとは思っていなかった。しかも、大団円はそれに留まらず……。これだけ壮大なヴィジョンと、恋愛や個人の宗教観といったミクロな事象とが、ひとつの物語の中で無理なく共存しているだけではなく、互いに支え合ってもいる。楽屋オチ的な感覚で、特に火星に関する有名どころのSF小説の題名が出てくるが、確かにそれらの作品をいいとこ取りしたような、非常に濃密な小説だ。
以下、ちょっとネタばれ。
しかし、いわゆる銀河文明をこのような形で描写するというのは、SFの新しい潮流のように思う。転移ゲートは出てくるが、超光速航法・通信は出てこない。ブラックホールを内蔵したマッチョな宇宙船も、リングワールドのような巨大構造物も必要とせず、光速という情報伝達速度の限界の中でいかにして集合知が成立しうるか、「グローリー」のように少ないエネルギーで効率良く生命活動を遠隔操作できるか。また「知性化シリーズ」のように人種のアナロジーとしてではなく、自律して情報処理を行う存在を知性の最小単位として、各個体や異星文明の混交を描くかという、生命や知性、文明のありようを改めて問い掛ける内容だと思う。
この小説は3部作の1番目だという。ほとんど全ての風呂敷が見事に畳まれたとはいえ、確かにこれは続きが読みたくなる。この作者のことは全く知らなかったのだが、やはり創元文庫の既刊が2冊もある。入手できるかどうかはわからないが、ぜひ読んでみたい。
この翻訳者についても全く知らなかったが(クオリアの人と名前が似ているので一瞬たじろいでしまったが)、『フランク・ザッパ自伝』を訳していたり、音楽関係の著作もあるようだ。そのためか、本作中で主人公が傾倒しているジャズに関してあとがきで非常に詳しく解説している一方で、イーガンの『宇宙消失』を読んでいなかったという。「慌てて読んでみた」そうだが、たぶんこの数理SFとしての「ハードさ」が理解できなかったか、そこにSF的な面白さを見つけられなかったと思われる。遠回しに物語としての弱さを指摘しているようだし、「がさつな文章で科学理論とガジェット類ばかりを詳述するタイプの作品」を批判もしている。そのような作品が最近特に多いということはあながち間違ってはいないと思うが、まあ続編もこの調子で翻訳してくれればいいなという感じ。確かにこの作品に関してはそれほど難解な科学理論は出てこないし、「人間を描く」こととのバランスが取れているから、翻訳者としては適任だと思う。
あと、本作はハインラインやクラークなど古き良き翻訳SF作品の趣がどことなくするのだけど、訳語も「制禦」や「恢復」などのように古い字をあてている。あえてこうしているのだろうか。その時代の翻訳を読んでいた者としては、とても懐かしい感じがして面白かった。