ヴァーナー・ヴィンジ『レインボーズ・エンド』

レインボーズ・エンド上 (創元SF文庫)

レインボーズ・エンド上 (創元SF文庫)

レインボーズ・エンド下 (創元SF文庫)

レインボーズ・エンド下 (創元SF文庫)

かなり期待して読み始めたのだけど。
プロローグをはじめ導入部分はとても面白かった。呼吸器系の軽微な疾患を引き起こすウイルスが、限定された地域で流行する。そのウイルスの直接の被害はごくわずかだが、実はそれは一種のトロイの木馬で、感染者に簡単な視覚情報を与えることにより特定の行動を促すことができるようになるという、細菌兵器だった。細菌兵器に対抗するために、インド、EU、日本の諜報機関は「ウサギ」というハッカーを雇うが、その諜報機関のある人物は実は裏切り者であり、他国の諜報機関やウサギを利用しようとしている。
一方で、この作品の主人公であるかつての有名詩人は重度のアルツハイマー病だったが、新しい治療方法の恩恵により、肉体的にも精神的にも復活しつつあった。やがて主人公は社会復帰のための職業訓練の過程で、この世界ではあたりまえとなっているウェアラブル・コンピュータとネットワークからなるテクノロジーに向き合わざるを得なくなる。主人公の息子夫婦はどちらも軍人であり、情報戦のプロ。孫は聡明で早熟な少女で、これらのテクノロジーを難なく使いこなしている。
これら二つの物語がどう錯綜していくのかというところが面白そうだったのだが、前述の諜報機関のエピソードは中盤でなりを潜め、もっぱら元詩人のエピソードとなる。だがこの部分のストーリーに、あまり面白味を感じることができなかった。簡単に言うと、図書館の(紙媒体の)本を裁断してデジタル化しようとする勢力 VS それに対抗する主人公をはじめとするインテリ老人たちという構図。ちょうど今Googleがやり始めている書籍のデジタル化という、ホットな話題とクロスするのが偶然ではあるが面白いとは言えるが、書籍という実体を持つメディアに対する郷愁めいた愛着は、そりゃ本読みなら当然感じるものであり、どちらの勢力に感情移入するかは明らか。わざわざ本を細かく裁断してデジタル処理するという、不可逆で乱暴な方法をとるというのも不自然。彼ら対抗勢力がとる戦略も、ややご都合主義的で、バトルシーンはハリウッド映画的な紋切り型。まあ、そういう娯楽作品を揶揄するような細部の描写もあるのだけど。結局、近未来的なガジェットの描写を除けば、普通のアクション映画のノベライズのような小説だった。
そのガジェットだが、この近未来世界ではウェアラブル・コンピュータとコンタクト・レンズの組み合わせにより、実際に存在する物体にイメージをオーバーラップすることができる。また「グーグル検索」(実名で登場する)やメッセージのやりとりなどをしながら、遠隔地にいる人物ともあたかも同じテーブルを囲んでいるかのように会話することもできる(イメージが座席を占有するので、カフェの料金まで支払ったりもする)。しかしこのようなガジェットの描写については、日本では『電脳コイル』や『攻殻機動隊』などですっかりおなじみなので、特に目新しいものではない。それらアニメ作品における近未来社会の設定やテクノロジーが直接ヴィジュアルに訴えるものだという、メディア特有の長所を割り引いたとしても、この小説のほうが勝っているとは決して思わない。情報リテラシーに弱い人物が悪意のある人物に「乗っ取られ」たりもするが、これも特に新規性のあるアイディアではない。
「ウサギ」の正体は最後まで明らかにはならないが、あまりの有能さに早々に作中の人物達からAIではないかと疑われるというのは、ポスト・サイバーパンク的といえるかもしれない。そのような可能性は、今日の読者なら想定の範囲内だろうから。また、ヴィンジが提唱している「特異点」とウサギとの関連が解説で言及されているが、ラストの一文で、むしろ主人公のほうこそが「特異点」への動機づけが強くなされているのではないかと思った。
たぶんこの作品は、近未来の高度情報化社会の描写を楽しめるかどうかがキモなのだろう。だが、人物間でやり取りされるメッセージをHTMLタグのようなもので囲んだりするギミックは伊藤計劃の『ハーモニー』のほうが上手く使われていたし、このようなにわかITエンジニアめいた発想には個人的に食傷気味。この手のテクノロジーに関するヴィンジの描写センスは『マイクロチップの魔術師』から進化していないように思える。『遠き神々の炎』ではネットニュースを連想させる描写があったが、当時はたまたま自分がそういう文化に接していたし、中心にある物語が面白くてガジェットは添え物に過ぎなかった。
ひとつ面白かったのは、

ウサギは追いつめられていた。彼はつねに、追いつめられたほうが頭が働くと思ってきたが、ここまで差し迫った事態に直面したことはない。敵がこれほど強力で、ユーモアに欠けていたこともーー。低級アナリストはておき、インド・ヨーロッパ連合にはジョークを理解できる人間がいないらしい。

というくだり。いわゆるギークと呼ばれる人種にありがちな、相手の力量が自分のそれを上回っていたときや悪ノリを窘められたときに、全てを冗談めかして自らの心の平安を保とうとする行為をズバリ表現している。