セバスチャン・フィツェック『治療島』

治療島

治療島

『サイコブレイカー』が良かったので、デビュー作を読んでみた。なるほど、『サイコブレイカー』に名前だけ出てきた精神科医ヴィクトル・ラーレンツはここで出てくるのか。
放送作家としての経歴があるとはいえ、デビュー作にしては上手すぎると言っていいくらい。訳者の解説にあるように何を書いてもネタバレになってしまいそうなのであらすじは書かないが、章立てが短くてテンポがいいし構成も上手い。派手なアクションシーンなどはないものの、ぐいぐい読ませる。
明らかに矛盾してたり時系列が合わないエピソードがあるので、根っこの大ネタはわりと早い段階で推測できた。だが開始早々に登場するある人物が、自ら統合失調症であり幻覚を見る症状に悩まされていると述懐することから、後の展開でどこまでが現実でどこからが妄想なのかという境界が曖昧であるということに、読者は一定の理由付けを勝手に見いだしてしまうという罠が張られている。この仕掛けは本当に見事。
ラストでは意外などんでん返しがあって、これも良かった。解説で、映画化にあたって「ハリウッド映画向き」と形容されているが、たしかにこのラストからはそんな印象を受ける。
ところで、学生時代にほんのちょっとだけフロイトユングは齧った、というか舐めた程度だが、そのときの知識がちょっとだけ役に立った。主人公は精神科医だが、専門的な用語などはほとんど出てこないものの、この物語はかなりフロイト主義的な構造になっている。読み終わってみると、無意識、エス超自我といった用語をあてはめることができるエピソードが多いことに気づくし、老賢人と思える人物も出てくる。もちろんアニマは当然だが、もしかしたら集合的無意識も。
そんなわけでフロイトについて軽く調べてみたら、作中の重要人物と同じ名前の「アンナ」という娘がいたそうだ。しかも精神科医で、児童心理学が専門だったというではないか。残念ながらドイツ語には詳しくないのであとはさっぱりだが、もしかしたら他の登場人物名なども由来があるのかもしれない。とにかくこの作者には、驚異的な懐の深さを感じる。