デイヴィッド・アンブローズ『リックの量子世界』

リックの量子世界 (創元SF文庫)

リックの量子世界 (創元SF文庫)

むむぅ。ちょっとこれは「SF」と呼びたくはないなあ。
邦題である程度内容は想像できてしまうし、主人公が物理学者と量子力学に関する議論をするというシーンもある。だけどこの会話が子供騙しというか、いろんな意味で中途半端で、今どきのSFの読者はもちろん、仮に自分がこの小説を高校時代に読んだとしても決して納得しなかっただろう。
量子力学多世界解釈の考え方を拡張して、平行宇宙にいる自分自身と干渉するという話はいくつかあるが、そもそもこの手の着想に科学的につじつまの合う根拠を与えるのは無理だろう。そもそも平行宇宙をまたいだアイデンティティとは何に帰着するのか。ホーガンはこの点をちゃんと押さえていて、作中で議論していたように思う。このように、科学的根拠云々を読者に意識させずにストーリーに集中させるという技術が、作者には求められるのではないか。
途中で話が妙に生々しくなって、妻の浮気の現場を押さえるために主人公が盗聴器を仕掛けたり私立探偵を雇ったりするのだが、やや下世話。その後も、息子の子守に雇った女性に片思いをし、揚げ句には彼女と結婚したらどうのこうのという妄想を勝手に抱いて勝手に失恋して、というくだりもあまりに自己中心的で、辟易した。最後の最後で少しだけ面白い展開になるけれど、それまでのグダグダな展開が災いして、その面白さも半減。
訳者あとがきで、懸念したとおりディック作品との共通点について言及しているが、ディックとはまったくの別物だろう。その程度の感受性では訳者としての資質が疑われても仕方がないので、この訳者が本気でそう信じているわけではなく、商業的な理由でタワゴトをのたまっていると考えたほうがまだ救われる。