橋本省二『質量はどのように生まれるのか』

質量はどのように生まれるのか―素粒子物理最大のミステリーに迫る (ブルーバックス)

質量はどのように生まれるのか―素粒子物理最大のミステリーに迫る (ブルーバックス)

KEK的にこれはありなの?
ヒッグス機構について勉強したいなと思って読んでみたのだけど、その話題は最後の30ページくらいしかなかった。ではそれ以外の部分には何が書いてあるかというと、(特殊)相対性理論量子力学クォーク理論と、今までにさんざん読んできた話題なのだった。
しかしこの著者、専門家では全くないけれども現代科学に関するそこそこの知識があって、少なくとも科学ノンフィクションを読み慣れているオレから見ると、かなりイケてない。日常生活や学生時代のエピソードを交えて脱線気味の軽い語り口で解説するというのは、たとえそれらがことごとく滑っていようとも、まあこの人の芸風なんだろうな、ということで受け入れることはできる。しかし、電流が流れるのは電子が導体の中を移動しているからだとか、野球選手はボールを投げるときに助走をつけることによって初速に速度を加えている、などという記述を見ると、著者の古典物理学への理解に対して疑問を感じてしまう。
また、電磁気学一般相対性理論のくだりまでは確かにわかりやすく書かれてはいるのだが、量子力学のところでいきなりシュレーディンガー方程式やディラック方程式そのものをずばり書いて、「そういうものなのだ」という説明で済ますというのはいかがなものか。そんな方程式を出されても、さすがのオレにもちんぷんかんぷんだぞ。これが理解できるようになるのは、大学の物理学過程のしかもかなり後半になってからじゃないのか?で、そこまで高度な教育を受けた人には、むしろ説明は不要なのじゃないか。このあたりから、現象や理論を何かに喩えて理解を促すとか、数式を極力用いずに説明するという努力を、著者は放棄しているように思える。教室で少人数の学生を相手に対面で教えることを前提として書かれた教科書のよう。
とは言っても、(理系の大学で教わる物理学や数学の素養さえあれば)最後まで通して読むと、量子色力学のあたりまでは一応の理解ができるようには書かれている。量子力学観測問題に言及しなかったのは、あえてそう意図したのかどうかはわからないが、正解だろう。まあ、本書のテーマである質量の起源そのものに関しては、いずれにしても消化不良だが。
やたらと南部陽一郎の名前が出てくるけど、南部の理論は、かなりいい線まで行っていたものの、それは結果論であって、量子色力学クォーク理論によってこそ正確に説明される体系の一種の近似である、というのが本当のところではないのか?ニュートン力学相対性理論の近似でしかなかったように。どうもこのあたりに、学会内の政治的意図のようなものを感じてしまう。
ところで、現代物理学の一般向けの本というと、相対性理論量子力学だけで全体の半分くらいを費やしてしまうというのは、まるで判で押したようというか、業界の標準でもあるのかね。そもそもこういう本の読者層は、高校の物理学程度は修めていると思われ、したがって古典力学相対性理論量子力学の基本くらいは理解していると思うのだが。だからこの本にしても、それらについて解説している部分を大胆にカットしてしまえば、より内容の濃いものになると思うんだがなあ。これがブルーバックスの限界か。