R・C・ウィルスン『クロノリス』

クロノリス?時の碑? (創元SF文庫)

クロノリス?時の碑? (創元SF文庫)

これもまた物語はタイで始まる。翻訳SF界は空前のタイ・ブーム(母数は2)。
のちに「クロノリス」と呼ばれることになる巨大な塔が突然タイに出現する。その塔の土台には、「クイン」なる人物が20年後にこの地を征服する旨の文言が書かれていた。このクロノリスの出現は以後も続々と続き、世界は少しずつ破壊されてゆく。
という出だしだけでもう。しかもウィルスンだし。で、期待以上に面白かった。
クロノリスの謎は明らかになるのか、それとも一種のマクガフィンにすぎないのか。時間を遡って侵略する未だ見えない敵に対して人類はどう抵抗するのか。これらの疑問がどう明かされていくのかというのがSFの一つの醍醐味だが、この小説はちょっと毛色が違っている。
一応、超ひも理論タウ粒子とで、クロノリス物理学とでもいえるものが構築されているが、それに関する説明はあまりない。というか、ハードSFの基準でいえば明らかに説明は少ない。だが、この小説はこれでよいのだ。クロノリスの出現と、それに踊らされざるをえない人々や社会の様相。ごく普通のアメリカ人である主人公とその周囲の人々が巻き込まれる事件、諍い、そして暴力。この人間ドラマこそがクロノリスの本質をズバリ説明している。またそのためには、親子三代が登場する長いスパンの物語が必要なのだ。
科学用語を駆使してクロノリスに関する理論をでっち上げて一から十まで解説することもできたかもしれない。けれども、この作者はそうする代わりに、物語の全体像でもってこの奇想を「見せる」ことを選んだのだろう。しかもそれだけにはとどまらず、この奇想を生み出した作者の筆力は読者をも巻き込んで、それこそ循環する時間が新たな世界線を生み出すように、読者の想像力を駆り立てる。この小説に関しては、いくらでも考察を続ける自信がある。
『時間封鎖』でもそうだったけど、ウィルスンは普通の人間の描写が本当に上手い。特異な個性を発揮する人物も数人登場するが、焦点はむしろその周囲にいる普通の人々に当てられている。またそれら「普通の人々」が集団を構成すると、どれほどの力を持つようになるか。狂気や暴力をふるうか。そういった人間たちが織り成す物語と時空の構造とが実は等価であることを解き明かしてくれるという、素晴らしい小説だ。