サラ・ウォーターズ『半身』

半身 (創元推理文庫)

半身 (創元推理文庫)

『エアーズ家の没落』がとてもよかったので、この作者の小説を最初から全部読むことにした。
これもまた素晴らしい小説だ。
日記文学の形式をとっているのだが、プロローグ的な最初の日記がほんの数ページなのにとても難しい。あらすじによると、ミルバンク監獄(かつてロンドンに実在したそうだ)を慰問した主人公が出会った不思議な女囚が、霊媒だという。この最初の日記に登場するのがその霊媒少女で、はからずも彼女が収監されることになった事件について語っているのだろうということは推測できる。けれども、他の登場人物の役割がよくわからない。特に、その霊媒の「支配霊」だというピーター・クイック。この最初の日記の描写によると、霊というよりは、物理的な肉体を持っている実在する人物のように思える。彼はその事件の被害者に「触れる」こともできるし、「頬を張りとばす」こともできるのだから。
他にもおかしなところがいくつかある。直接事件にかかわったわけではないブリンク夫人は、事後の様子を見ただけなのに何故こんなに興奮し、そして死んでしまったのか?「わたし」とピーターは協力して被害者をまるでレイプしようとしているかのように思えるが?「わたし」は何故こんなに怯えている?
これらの疑問は、本編で序々に明らかになっていく。本編は、やはり日記形式なのだが、数年を隔てた二つの時系列からなり、ひとつは主人公の、もう一方は霊媒少女のものだということがわかってくる。主人公の日記はだいたい数日から数週間おきに書かれているようだが、霊媒少女のほうはもっと間隔が長い。また、主人公の日記からは彼女がどのようにして今や女囚として収監されている霊媒と知り合い惹かれていくようになったかが、もう一方の日記からはその霊媒少女が裕福なパトロンを得て「出世」し、例の事件に至る過程がわかるようになっている。
どうやら主人公の過去には深いトラウマがあるようで、そのために精神を患っていた期間があるらしく、今でも薬を服用している。そういう性分だからか、彼女は霊媒だとか降霊術といったオカルトにはそれほど抵抗がないようだ。この点については、主人公が監獄への慰問を繰り返すにつれ霊媒少女に対して抱く「慕情」が強まり、理性的な判断力に優ってしまったため、むしろ自ら積極的に信じようとするバイアスが働いたようにも思う。
このように主人公が霊媒少女にのめりこんでいくのとは対照的に、霊媒少女の日記にはところどころに、いかにして人心を掴むか、また両手がふさがっているように見せかけて片手を自由に使う方法といった心霊トリックに関する言及、時には降霊術を施した人物の名前と得た見料(という言い方でいいのか?)といった即物的な話題が挟まれる。これはこの物語が決して一筋縄ではいかないものであること、またここに出てくる心霊現象が「ほんもの」ではないかもしれないことを表明している。
上述のプロローグで疑問に思ったことは、このようにして少しずつ明らかになってゆく。そのたびにプロローグや以前のページを読みなおして人間関係や背景を再構築し、意図的に曖昧に書かれていた部分を再確認し、ということを繰り返しながら、ゆっくりと読み進めた。そのせいか、中盤ではかなりの確信を持って、この物語に潜む謎を解き明かせたような気がしていた。でもやっぱり最後には騙されるんだな。この人物とあの人物がアヤシイと思っていたのだが、実はこの人物とあの人物は○○で、さらに他の人物が大きく関与していたとは。最後に全てが明らかになったときには、作者が読者に対して大胆な挑戦を仕掛けていたことがわかる。傍点で強調されていた部分には全て二重の意味があることも。
『エアーズ家の没落』では、現実と超常現象の境界が意図的に曖昧にされていたが、この『半身』では全ての謎は明らかにされる。むしろ、詳らかにされることによって物語により深い意味と冷徹な残酷さを与えている。ただ、抑圧された性がもつ力が物語の根源にある、ということは共通している。
前述したようにこの小説はなかなか手強い。だが繰り返すがこの小説は素晴らしい。この作者の小説は全て読むしかあるまい。