佐藤史生『春を夢見し』

新書館から出てた単行本も当然持っているけれど、佐藤史生の復刊は必ず買うと決めているのだ。
「ミッドナイトフィーバー」の二色刷りカラーも読めるし、ありがたいことです。これと「透明くらぶ」、そして『やどり木』に収録されている「バナナ・トリップに最良の日」のいわゆる<東盟大SF研>シリーズ(今命名した)は、オレ個人が勝手に抱いている一種の共犯者意識を刺激するんだなあ。当時のSFファンたちは無根拠な特権意識を共有し自ら閉鎖的な雰囲気を作っていた(と思う)けど、田舎の孤立したSFファンだったオレはその輪に加わることもできず、というかあえて与しないようにしていたのだけど、こういうフィクションの中のそのような集団には少しの羨ましさとちょっとしたむず痒さを感じていたっけ。
佐藤史生の作品に共通する特徴のひとつにフェミニズムがあるけれども、デビュー作「恋は味なもの!?」と巻末の「ふりかえるケンタウロス」は、特にその傾向が強い。面白いのは、この二つの作品が、根底に強いフェミニズムがあるものの、ベクトルの方向が真逆なところ。特に「ふりかえるケンタウロス」は、昔から好きな作品で、『金星樹』に収録されている「レギオン」とも好対照をなしている。
今回改めてこの「ふりかえるケンタウロス」を読んで印象に残ったのは、主人公であるブルジョワのお嬢さま一家のお手伝いさん(?)「波間」さんのひとコマ「ほほ……これが存外/さみしいものでありまして」。この短いセリフと老婦人の表情に、主人公の性格や家庭環境、どういう育てられ方をしてきたか、などなどが凝縮されている。三十年前の少女漫画にはこれほど繊細でかつ情緒的な表現が成立していたのだ。