佐藤史生『やどり木』

このシリーズももう5冊目。『佐藤史生コレクション』としては第一期が完結だそうで、この春から第二期が始まるらしい。これ以降の佐藤史生作品はもう海外のSF小説にさえ類を見ない唯一無二のSF世界を描いているから(個人的には、諸星大二郎と双璧を成すと思っている)、これは楽しみですよう。
さて、表題作「やどり木」は、当時やっと言葉として定着し始めた「ガイア仮説」を元にしているように見えるけれども、もう少し踏み込んでいるように思う。今風に言えば、「シンギュラリティ」(あまり好きな言葉ではないのだけれども)。
舞台となるこの惑星に入植した人々が、その信条ゆえに惑星の資源を搾取せず貧しいながらも自活することによって、惑星の生態系ネットワークに受け入れられたということなのだろう。そこに棲む植物や生物と同じように、惑星から見ればそこに寄生する「やどり木」だとしても。
そして、人類が生態系ネットワークに組み込まれたことによって、1コの新たな知性となるというビジョンが窺える。
「まさかのときのハーレクイン・ロマンス」。これは、いわゆる少女漫画を不得意としていた作者が、成長して女性となった読者に対して大人の物語を描けるようになった記念碑的作品ではないかと思う。「比留間弥生」のキャラクターも最高だ。
「バナナ・トリップに最良の日」。これは作者にしては珍しく、80年代テイストが満開。扉絵のトーンの使い方や、登場人物のファッションなど。
そして扉絵といえば、魚返君が読んでいるのは『ゲーデルエッシャー、バッハ』。実はこの本が出た当時(1988年)はホフスタッターどころかゲーデルすら知らなかったけれども、その数年後に再読して気がついたときには「おおっ」と驚いた。当時のSF小説家でも、ここまで勉強している人はそういなかったんじゃないか。ゲーデルの名前が当然のように小説に出てくるようになったのは、たぶんルーディ・ラッカー以降だ。
まあそれはいいとして。生存確率に寄与しない能力(ここではいわゆる「超能力」)ならば持っていてもよい、という考え方は、何か元ネタがあるのだろうか。確かにダーウィニズムとは矛盾しなさそうだし、ニューエイジな人たちには受け入れられそうだ。