サイモン・カーニック『ハイスピード!』

ハイスピード! (文春文庫)

ハイスピード! (文春文庫)

邦題がぁ〜とか、整合性がぁ〜などと細かいことを考えると楽しめないので、ここは馬鹿になって読むべし読むべし読むべし。前作の『ノンストップ!』も、楽しめたことは憶えているけど、ストーリーなんて忘却の彼方だ。
冒頭で、主人公は目覚める前日の記憶を失っていることに気がつくのだが、そもそもこのストーリー全てがその設定の一点に依って立っている。もちろんわずかでも記憶が残っていてはいけないし、事件の数日以前のことを忘れていても成り立たない。そんな都合のいい薬物なり催眠術のような精神操作の技術なんてそうないと思うのだが、作者はそこにリアリティを持たせることを放棄しているか、あるいは気にしていないかだ。
だから、これはもうそういう小説なのだと割り切って、とにかくページをめくるしかない。携帯電話の電源はオフにしたままのはずでは、とか、拷問されて失神したり身体検査されたり着替えたりしたのに財布や自宅の鍵はちゃんと持ってるんだー、なんていうことを気にしちゃダメ。絶対。
実際、エンターテインメントとしては邦題に偽りはなく、一度読み始めたら止まらなくなる。また、前述のように穴ボコだらけのロジックだけれども、終盤で明らかになる黒幕の正体はこれまで一度も言及されていなかった人物だった、なんていう反則はない。ただし、ミスリードを誘う叙述がビーンボールに近い。そもそも語り手である主人公が記憶を失っているので、その時点で信頼できない語り手である上に、出てくる登場人物みな怪しいぞという印象を抱かせるような書き方になっている。
だから予想が当たると、ホラやっぱり思ったとおり!なんていうふうにも思ってしまうのだが、これはつい先を読んでしまう読み手としては可能性としてありうるパターンをすべて検証しつつ読んでいるわけで、そのうちの一つくらい当たっても驚くほどではない。なのでもしかしたら、読者にそういう優越感を抱かせるという読者サービスの一環なのかもしれない。
軍のデータベースにも侵入できるほどのすご腕の「ハッカー」や、直径5ミリしかないのにGPSと発信機(もちろんそれらを駆動するバッテリーも搭載しているはず)を兼ね備えたデバイスといった人物やアイテム、要所要所にはセキュリティだの用心棒だのがいてさんざん苦労していたのにラスボスの家にはあっさりと侵入できてしまうなどというのは、もちろんご都合主義だ。だけど、この小説が面白かったのは事実。
「1ページ目から全力疾走。手に汗にぎる3時間をお約束します。」というオビの惹句は伊達じゃない。750円+税で3時間楽しめると思えば、こういう本も悪くはない。たまには。