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- 作者: アン・ハリス,河野佐知
- 出版社/メーカー: 東京創元社
- 発売日: 2005/06/23
- メディア: 文庫
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某所で、カバーがアニメ絵っぽいめがねっ娘だという書き込みを見たが、言われて気が付いた。大森望なら、「理系めがね萌え男子なら買って損はない」とでも書きそうな感じ。でもこのカバー絵、主人公はまだ少女という設定なので、主人公とそのパートナーとが逆転しているように見える(中央の背の高い方が主人公)。
のっけから「
主人公は、美少女で、暴力的で、エレクトロニクスに強いが文盲という、よくわからない設定。このエレクトロニクスに強い、という設定が途中さっぱり忘れられるのだけど、後半唐突にまた現れて面食らった。
新人作家だから無理もないのかもしれないけど、辻褄が合わないところもある。主人公の弟は、プロローグで主人公と別れたときにはまだ少年というか子供だったのだけれど、主人公と再会したときには、無精髭が生えている。この間、数ヶ月しか経っていないはずなのだが。主人公とカバー絵のめがねっ娘生物学者が、経緯もなにもなく恋愛関係(レズビアン)になるのも、唐突すぎる。その後の展開では主人公の彼女に対する愛情が動機付けになっているらしいのだが、根拠が薄弱なので感情移入できない。
一番の問題点は、題名にもなっているフラクタルと自意識との関係だ。タムカリという人造生命体は自意識を持っていて、彼のミトコンドリアには非局所的な量子効果があるという。めがねっ娘学者はフラクタルとカオスを研究する過程でその量子効果を感染させるウィルスを作り出す。そのウィルスに感染することによって、めがねっ娘学者をはじめとして普通の人間達がニュータイプみたいな偏在的な認識力を持つようになったり、ロボットが自意識を持つようになったりする。このくだりは、論理の飛躍が多すぎてついていけない。グレッグ・イーガンなら、上手く煙に巻いてくれたことだろうが。人間の意識が、カオスまたはフラクタル理論によってある程度は説明できるかもしれないが、逆、つまりカオスなりフラクタルなりの現象を組み込んだシステムが必ず意識を持つかといえば、そうではないだろう(あ、カオス・フラクタル現象そのものが意識である、というのはSFとしてアリかも)。主人公の弟が、片脚を失ったことによってニュータイプ能力を身に付けるというのは、ちょっと面白いと思ったが。
めがねっ娘学者は人違いで殺されてしまうのだが、ラストで、件のウィルスに感染したセックス・ロボットの自意識となって復活する。その復活を目的として、わざと殺されたらしいということがほのめかされるのだが、これもなんかウィリアム・ギブスンっぽい。
いろいろ文句はつけたが、ところどころ面白いプロットもある。一応、今後に期待できるというところか。