未来のイヴ (創元ライブラリ)作者: ヴィリエ・ド・リラダン,斎藤磯雄出版社/メーカー: 東京創元社発売日: 1996/05/25メディア: 文庫購入: 11人 クリック: 202回この商品を含むブログ (56件) を見る

途中で『銀河ヒッチハイク』シリーズなどが割り込んだため、結局読み終わるのにずいぶん時間がかかってしまった。
全編正漢字・歴史的仮名遣いではあるが、学生時代にノートをそうやってつけていた甲斐があって、文字を読むのに苦労はないものの、時間はかかった。というのも、文章の組み立て方が現代文のそれとは異なっていて、論理の流れに飛躍があるように感じてしまい、何度か繰り返して読まないと理解できないのだ。これはむしろ、現代人のほうが文章の読解力という点では劣っているということかもしれない。また、映画『メトロポリス』と比較されることもあるので、「イヴ」が誕生してからの話が主かと思っていたが、そうではなくて誕生するまでの話のほうが主なのであった。
時代的背景としては、貴族階級の凋落とブルジョワジーの台頭、科学の進歩がテクノロジーに結びつくようになったこと、社会の近代化と合理主義に基づいた人々の意識の変化、といったことがある。つまり、前近代から近代への転換期に書かれた小説なので、その転換がどういうものであったかを垣間見ることができる。
典型的なマッド・サイエンティストの「エディソン」とこれまた典型的な没落貴族である「エワルド卿」の対話がこの小説の殆どを占める。外見の美しさとは裏腹に堕落した精神をもつ恋人への幻滅により死を決意したエワルド卿に、その恋人と同じ外見でありながらより崇高な精神をもつ「人造人間」を提供しようと持ちかけるエディソン。エディソンは、合理主義に対して否定的な立場をとっていると名言しているのだが、躊躇うエワルド卿に対して逐一合理的な説明を施すというのが、なんともアイロニカルだ。
人間を構成する「アトム」が数年で全て置き換わるのだとすれば肉体的なアイデンティティはどこにあるのか、人間が美を感じるのは所詮五感が得た即物的な「アトム」や光線や音のパターンをそう認識しているにすぎない、といったおなじみの命題が19世紀末にすでに提示されていたというのは驚き。作者がSF作家であると一般に認識されているわけではないと思うが、ウェルズやヴェルヌとはまた違った切り口で、むしろディック的だ。
人造人間の仕組みをエディソンが微に入り細に入り饒舌に説明する場面は、描写が過剰でハードSFを彷彿とさせる。人体の構造を機械に置き換えるという着想を、しっかりとした説得力をもって描ききっている。人間の表情や動作などは所詮有限のパターンの組み合わせなのだから、これらを記録した「円管」から最適なものを選択して機械をそのように動作させればよいだけだと断じるエディソンの言葉には、当時の人々はずいぶん驚いたのではないだろうか。「サイバネティクス」という言葉ができるずっと前なので、今となっては人造人間の制御法に違和感を禁じえないが、それでも電気・磁気と金属、それと若干の有機物だけで人造人間の製法を示したというのには感嘆する。
電気といえば、物語の中盤までは作者は正しい電磁気学の知識に基づいて書いているように思われるのだが、後半はちょっと怪しくなる。遠隔地にある現象を瞬時に知覚できる能力というのが登場するのだが、マクスウェルと時代がだぶっているものの、電波の実用化には先立っているし、描写の内容から判断する限りむしろ神秘主義に近い。
やはり後半で、エディソンが実験室に引き篭もって人造人間の製作に没頭している間に繰り広げられる周囲のドタバタ劇は面白い。マスコミが暴走したり、ガス会社の株が暴落したりと、テクノロジーの進歩に振り回される人間というのはこの頃からすでに存在していたわけだ。
完成した人造人間を理想の恋人として添い遂げることを決意したエワルド卿だが、その人造人間を海難事故で失ってしまい、結局やはり死を選ぶことになる。現在ならば正反対の結末のほうが評価されそうな気がするが、まあこれが19世紀の倫理観ではあるのだろう。