ケン・マクラウド『ニュートンズ・ウェイク』

ニュートンズ・ウェイク (ハヤカワ文庫SF)

ニュートンズ・ウェイク (ハヤカワ文庫SF)

まず目次を見ると、

A面 空の彼方の国
 1 実戦考古学
    …
B面 …
のようになってて、一見してレコードのA面B面を模していることはわかるのだが、特に意味はなかった。途中で二人組のミュージシャンが出てきて、実際にコンサートを開いたりもするのだが、関連はこれくらい。構成としてこうでなければならない、というような必然性はなく、カッコつけただけみたい。
カッコつけるといえば、全編まさしくそんな感じで、用語や世界観もどこかで聞いたことがあるようなものばかり。例えば、この作品世界ではいくつかの勢力がしのぎを削っているのだが、それら勢力のネーミングが「DK(民主共産主義連合、民主朝鮮もしくはカンボジア)」だの「AOL(アメリカン・オフライン)」だの、あまり捻ってないありがちな名前。また、強力なプラズマ兵器が登場するのだが、その原理は超ひも理論だという。プラズマという、いわば中途半端にマクロな物質と超ひも理論とがどう結びつくというのか。この手のセンスの感じられないガジェットだらけで、挙げるときりがない。
SFとしても破綻していて、この世界では超光速航法(FTL)も瞬間移動装置もありなのだが、因果律を守るためにこれらの装置はたまに動作しないという。こういう設定自体は他のSF作品でも見たことがあるしむしろ厳密なルールを設定することによって世界観に深みも出ると思うのだが、作中の宇宙戦シーンで、敵がFTLした直後に因果律保護のために一瞬だけ動けなくなり、その間に倒してしまう、というのがある。この場合の因果律はその敵以外の客観が要請するものであって、そもそも敵の主観と味方の主観のどちらでも因果律に矛盾が生じないからこそFTLが可能だったのではないのか。主観と客観とで矛盾が生じないことこそ、因果律の、相対性理論の本質ではないのか。こういう、あからさまなご都合主義を持ち出すようでは、もはやSFとは呼べないだろう。
ページ数だけはそれなりにあるものの内容はこの上なく薄っぺらい本書だが、さらに読者を混乱させるのが、翻訳である。どちらかというと翻訳の善し悪しには目をつぶることが多いのだが、これはひどすぎる。男が2人、女が1人いるシーンで、「彼は」と言われてもどちらの男性を指しているのか判断できない。直近で言及されたほうの人物を指していると仮定して読み進むと、実は違っていたりする。
また主人公はスコットランド人の子孫ということで訛りがあるのだが、「~なのさ」が「~なんさ」、「~するのさ」が「~するんさ」というように訳されている。このセンスのなさはどうだ。スコットランド訛りを実際に聞いた限りでは東北弁を連想させるような訛りであって、どちらかというとこの訳のように都会のガキ的な雰囲気ではない。実際にスコットランド人の発音を聞いたことがなくても、なんとなく洗練されていない朴訥とした雰囲気を想像するのではなかろうか。
と、ダメっぷりばかりを挙げてしまったが、最後の10ページくらいはちょっと面白い。それまでの展開があまりにヒドイせいか、急にとんでもない名作になったかのような錯覚をおぼえるくらいで、これはある意味ツンデレSFかと。あと、例の2人組のミュージシャンがビリー・ブラッグに影響を受けた、というくだりにはニヤリとしてしまった。本書のタイトルはカッコいいけど、ただしニュートンも『フィネガンズ・ウェイク』もあまり、というか全然関係ない。
どうも最近のハヤカワSF文庫のラインナップには、一定の割合で駄作を含ませるという不文律でもあるらしい。本書の他にも、『啓示空間』とか『コラプシウム』とか。これら駄作群でおおむね共通しているのが、CGっぽいカバー絵、翻訳が嶋田洋一、そして解説が自称SF研究家・堺三保、である。薄っぺらいスタイル先行型の駄作をつかまされないようにするには、こいつらを避ければいいわけですね。