ジェフ・ライマン『エア』

エア (プラチナ・ファンタジイ)

エア (プラチナ・ファンタジイ)

ジェイムズ・ティプトリー・ジュニア賞を受賞したそうで、確かに作風は似ているかも。だが、これはちょっと評するのが難しい小説だ。
「エア」というのは、ハードウェアなしに人間同士が直接コミュニケートできるシステムのことで、アジアの小国のそのまた寒村におけるこのシステムの導入テストの際に事件が起きる。テストの瞬間に主人公(女性)のそばにいた老婆の意識が主人公の脳に宿ってしまうのだ。そのかわり彼女は偶然エアにアクセスする方法を見つけて、それまでは文字すら読むことができなかったのに、いわばビジネスモデルを実現するサイトを自ら立ち上げて村おこしに活用しはじめる。
主人公はもともと「ファッション・エキスパート」という設定なのだが、たかだか数十戸しかない寒村で、需要があるのだろうか。件の村おこしビジネスは、その寒村の民族衣装をアレンジして欧米や日本といった先進国に売り出すというものなのだが、ならば村にはそもそも固有のファッションがあったわけで、あえて村民に西欧的なファッションを提案することはなかろう。
「エア」の仕組みも、ナノマシンでもこっそり飲ませるのかなどと思ったら、宇宙は実は11次元なので云々という記述があることから、どうやらひも理論を応用しているようだ。もしそうなら、ひも理論では空間の3次元以外の次元はプランク長以下に折り畳まれているので、余剰次元を用いてひもあるいは膜どうしで情報の交換は不可能なはず。まあ、ここは譲って、「エア」とはそういうブラックボックスである、としてもいいだろう。だが、いかなるメカニズムが用いられているにせよ、人々に手術や投薬などの処置もなしにいきなりそのシステムが利用可能になるというのは、ちょっと無理があるだろう。
主人公はややエキセントリックな性格で、旧来の慣習や良識などにはあまり頓着しない性質だ。そのためか、主人公は不貞をはたらいてしまい、結果妊娠してしまうのだが、それが子宮外どころか胃で妊娠してしまうのだ。いくらオーラル・セックスをしたためとはいえ、それはないだろう。百歩譲って、そのような状況で受精が可能だったとして、胃に着床するというのはいくらなんでも無理がある。受精卵が胃に入った瞬間に胃酸で溶けてしまうだろうし、食道に着床するということのほうがまだあり得そうだ。このあたりでかなり読む気を失ってしまったので、以降はちょっと流し気味に読んでしまった。
他にも、「エア」における情報交換を可能にするための「ゲイツ・フォーマット」だとか、脳に回路を埋め込まれて喋れるようになった犬だとか、本筋にはほとんど関係のない、小ネタとしてもそれほど面白みのないエピソードがいくつかある。「リーダビリティが高い」という言い方はよくするが、「リーダビリティが低い」という言い方はあまりしない。だが、この小説はすくなくともおれ的にはそう言わざるを得ない。
主人公は、意識に宿った老婆の知恵のおかげで、村に起きる災害を予言する。村人達との葛藤があった後に、その災害が実際に起きてしまうのだが、主人公とその支援者の活躍のおかげでほとんどの村人は救われる。だが、その際の精神的外傷のために、主人公の意識は完全に老婆に奪われてしまう。
「エア」はコミュニケーションのシステムである一方で、ユング集合的無意識を合理的に説明できる道具のようなものでもあるようだ。また、時間についても、過去から未来へのあらゆるパースペクティヴを可能にするもののようだ。主人公の意識は「エア」の中をさまよいながら、過去の老婆に語りかけることによって、自身の体を取り戻す。このあたりは、なかなか面白かった。
また、前述の胃に宿った胎児は、「エア」の本稼働の瞬間に、主人公の口から出産される。やっぱりこのくだりもちょっと無理があるとは思う。その子は案の定胃酸で感覚器や手足を失っているのだが、全人類に「エア」がもたらされた今、もう目も耳も手も必要ないのだ、という結末で終わる。この部分はまあ、ちょっとした感動があるにはあるが、やはり胃で妊娠するという発端からの無理矢理感はぬぐえない。なおこの小説はアーサー・C・クラーク賞も受賞しているのだが、それはこの結末のためかもしれない。
最初と最後はまあまあ良かったように思う。途中の民族衣装で村おこしのエピソードが、子供だましのトレンドたまごの域を出ていないのと、胃で妊娠や喋る犬といった荒唐無稽さが惜しい。
訳者あとがきによると、この作風は「マンデーンSF」というそうだ。超光速航法や時間旅行といった、SF的ガジェットを廃した「あたりまえのSF」の意だそうで、作者はこのムーヴメントの中心人物なのだという。胃で妊娠やひも理論で「エア」があたりまえかどうかはともかく、こんなものに改めてわざわざ名前をつけなくとも、すでにニール・スティーヴンスンが『クリプトノミコン』を、ギブスンが『パターン・レコグニション』を書いてるじゃあないか。サイバーパンクの時代ならいざ知らず、「ニュー・スペースオペラ」とか、最近の「ムーヴメント」に関しては批判的な見方しかできない。