弐瓶勉『BLAME!』2〜10

BLAME!(2) (アフタヌーンKC)
BLAME!(3) (アフタヌーンKC)
BLAME!(4) (アフタヌーンKC)
BLAME!(5) (アフタヌーンKC)
BLAME!(6) (アフタヌーンKC)
BLAME!(7) (アフタヌーンKC)
BLAME!(9) (アフタヌーンKC)
BLAME!(8) (アフタヌーンKC)
BLAME!(10) (アフタヌーンKC)
そもそも『ブラム学園! アンドソーオン 弐瓶勉作品集 (アフタヌーンKC)』を買ってしまったのがいけなかったのか。チラ見したところ、これは元ネタがわからないと駄目だということに気がついて、全巻大人買いして一気読み。しかし、何度も前のページを見直してしまうので1冊読むのに1時間はかかるし、読むほうにも体力が必要な作品だった。
ストーリーなどあってないようなものだが、独特の世界観と雰囲気はたしかに素晴らしいし、読み手のイマジネーションを刺激しつづけてくれる。
この作品世界については、明示的な説明がされていないので幾通りもの解釈が可能だが、おそらく一種の仮想空間と考えるのが妥当なところだろう。どことなく作り物めいて嘘っぽい世界を「書割りのような」と表現することがあるが、この作品の場合はさらに踏み込んで抽象化・仮想化の度合いが進んでいるように感じた。たとえていえば、3DのCGが、つまるところ画面に見えている構造物の実体はポリゴンの頂点座標の集合にすぎず、アルゴリズム化された運動方程式に従ってその座標を変化させているだけだ、という事実についての認識を否応なしに強制させられるような。たぶんこれは極めて私的な感じ方であって一般的なものではないと思うが、このような現実世界のアナロジーとしての仮想世界の仕組みを意識してしまうと漠然とした不安を感じてしまう性質なので、読んでいる間はずっと一定の緊張感を覚えていた。
物語の最初の頃は主人公もわりとよく喋っていたし、絵も白っぽい。巻が進むにつれて、主人公は無口に、絵は黒っぽくというか総じて灰色という雰囲気になる。わりとすぐ死んでしまうことが多いが脇役も結構出てくるし、主人公たちが移動するにつれ構造物の基本的な意匠も変化するので飽きない。
バトルシーンでは、登場人物や由来が不明なクリーチャーの手足がわりと簡単にもげたり、場合によっては半身を吹き飛ばされたりもする。だが不思議なことに、残酷な描写という印象はあまりなく、子供が昆虫を生きたまま解体して遊んでいるようなイノセントなイメージがある。むしろそのほうが残酷だという見方もできて、それを意図した演出なのかもしれない。
たぶん、この作風は難解であるというのが大方の評価だと思うし、実際わかりづらい。だけどよく読めば説明されるべきことはちゃんと説明されている。難解だと感じるのは、スケール感が日常生活とは大きく異なるし視点がダイナミックに変化するのでパースペクティヴに追従するのが困難なのと、いわゆる漫画のお約束が排除されているからだと思う。たとえば、登場人物が何かに気がついたことを示す「ミ」のような漫画記号などは描かれていない(額の汗も描かないよう徹底すればよかったのに)。このようなことは、微妙な表情の変化や前後のコマから判断するしかないのだ。逆にいえば、意味ありげなコマの前後では何かしらの変化が起きているということなので、この文法に馴れてしまえばその間の出来事を必ず把握できる。そういう意味では、むしろ最近作の『バイオメガ』のほうがわかりやすい。
ラストでは、現実世界と仮想世界の倒錯した歩み寄りがおそらく天文学的スケールで示されており、とても印象的。必ずしも全ての謎が明かされたわけではないが、というかほとんど明かされていないのだが、この作品の場合はこれで良かったと思う。むしろ、全てに合理的な説明が与えられてしまうと、白けてしまうだろう。
ちょっとだけサイバーパンク的な小ネタも用意されている。「2244096時間」というのは24*365で割ると256になるし(うるう年は?とか言わないこと)、「珪素生物襲撃」に「バーニングシリコン」というルビが振られているのは、ギブスンの「クローム襲撃(Burning Chrome)」が元ネタだろう。
東亜重工という名前が出てくるあたり、『バイオメガ』と世界観を同じくする連作という意味もあるのかもしれない。この作者の作風だと、全作品が共通の基盤をもっていてもおかしくはないので、残りの単行本も全部読む。っていうか、もう購入済み。