パオロ・バチガルピ『第六ポンプ』

第六ポンプ (新☆ハヤカワ・SF・シリーズ)

第六ポンプ (新☆ハヤカワ・SF・シリーズ)

リヴァイアサン』に続く、「新☆ハヤカワ・SF・シリーズ」の2冊目。
長編『ねじまき少女』と世界観を同じくする短編が多い。ギブスン作品を引きあいにするなら、先にこっちを出したほうがよかったんじゃないかなあ。まあとにかく、この短編集はなかなか面白かった。

  • ポケットのなかの法

この短編は確かにギブスンぽい。雰囲気もストーリーも、「記憶屋ジョニィ」や『ニューロマンサー』の一部にちょっと似ている。
それにしても、このアイディアを短編にしてしまうというのはすごいな。長編に膨らませてもおかしくないと思う。

  • フルーテッド・ガールズ

原題は"The Fluted Girl"。直訳すれば「フルート化された少女」。最初はこのタイトルがピンとこなかったのだけれども、ラスト近くになってやっと意味がわかる仕掛けになっている。ちょっとファンタジーっぽい。

  • 砂と灰の人々

これは『ねじまき少女』の世界のさらに数百年後(?)という雰囲気で、エネルギーの枯渇とそれを克服するための生命工学がより発達した世界か。ここまで身も蓋もないポスト・ヒューマンの姿というのはちょっと珍しいかも。

  • パショ

これは地味だけれども、語り口が上手い。なんとなく『黙示録三一七四年』を思い出した。

  • カロリーマン

これも『ねじまき少女』と同じ世界が舞台。
しかし、化石燃料が枯渇して二酸化炭素の排出規制が厳しいからといって、運動エネルギー源をとにかく「ゼンマイ」で賄うというのはどうなんだろ。もっといい方法がありそうだが。面白いからいいけど。

  • タマリスク・ハンター

アメリカの格差社会問題に対するアイロニーとしても読めるが、これが書かれたのは2006年。このころから話題になってたんだっけ?

  • ポップ隊

この作者の作品の傾向として、ある問題に着眼してそれが極端にエスカレートした場合にどのような視点や問題が立ち現れるか、という考察・外挿があるように思う。この短編もそう。
「砂と灰の人々」と同じように、アンチヒューマニズムを装いながら、人間に刷り込まれた生命への共感というテーマが伺える。

時代や環境が変わっても、人間の生の執着は変わらない。

  • やわらかく

なんとなく、60年代のアメリカ人SF作家が書きそうな話だと思った。

  • 第六ポンプ

これはいい。化学物質を摂取しつづけために人間が痴呆化してしまい、普通の人々の知性の低下はもちろん、生殖するしか能のないいわば「野良人」のような存在までもが大量に発生している。でもこれ、シャレになってないぞ。近未来というよりも、直近の未来、いや日本人の現状といってもいい。生水を飲んでも大丈夫という触れ込みを信じて腹にステッカーを貼ったりするのって、ホメオパシー信者やコラーゲンを経口摂取して美肌とか言ってるのと同じだよな。


わりと近い未来を描いているという点では同じだけれど、サイバーパンクのような暗さ・杳さというよりは、一種の諦観のようなものを感じると同時に、人間のしぶとさや、生命への共感といったものを感じた。決して「エコ万歳!」みたいな作風ではなく、今の我々が漠然と信じている、技術や文明は今後も発展しつづけるだろう、社会や経済は変化していゆくがその構造が根本から覆ることはないだろう、というような幻想を完全に打ち砕く物語たちに、喝采