セバスチャン・フィツェック『アイ・コレクター』

アイ・コレクター (ハヤカワ・ミステリ 1858)

アイ・コレクター (ハヤカワ・ミステリ 1858)

いつもの柏書房じゃないので、あやうく見逃してしまうところだった。最近書いてないのかなあと思ったら、本書の前にも一作書いているらしいのだが、未訳。
この本はエピローグから始まり、最終章がそれに続いて、以降章番号が減っていく。ノンブルも逆に振られており、したがって残りページ数を示していることになる。といってもストーリーはちゃんと時系列に沿って進んでおり、てっきりストーリーが逆順に語られていくものと思い込んでいたので、ちょっと混乱した。
主人公は過去の事件における心的外傷が元で知覚障害を発症したことがあり、現在も治療を受けている。そして最近では聴こえるはずのない声までもが聴こえるという。だから、この時点で主人公の独白は果たして信用できるのか、という疑問が湧く。
また、盲目の物理療法士が登場しやがて事件に深く巻き込まれていくのだが、彼女は本書のタイトルにもなっている「目の収集人」と呼ばれる連続殺人犯を治療したという。というのも、彼女にはその犯人の記憶が見えたというのだ。
ここに至って、頭の中が?マークだらけになるが、この作者のことだからきっと合理的な説明があるはずだと思い読み進む。その物理療法士が、とても盲人とは思えないような機敏な行動をしたり表現力に富んだ会話をするので、本当に彼女は盲目なのか、これもトリックの一部ではないのかと疑いながら読んでしまうのだが、そう思ったときにはすでに作者の術中に嵌まっているのだ。冒頭で主人公が「信頼できない語り手」であることが仄めかされているためつい疑い深くなってしまうが、そうなればなるほど作者に騙されてしまうという仕組み。
主人公がこの事件を追っていく過程で示される手がかりや被害者が、ことごとく主人公に関係があるものばかりというのも、なかなかに不条理感があっていい。さらっと触れられただけだった主人公の浮気(未遂)が、実は…というくだりでは本当に怖くなった。
というわけで相変わらず読ませるけれど、今作はちょっと演出に凝りすぎたのでは、という感もある。ノンブルが逆に振られているというのは最後まで読むとなるほどと頷けるのでいいのだが、例えば物理療法士の入れ墨のエピソードは必要だったのかな。この本の構成を重層的に示すひとつのアイテムだというのはわかるんだけれども。
この小説には続編があり、本国ドイツではもう出版されているそうで、とにかくこの続編を楽しみに待とう。