青木薫『宇宙はなぜこのような宇宙なのか――人間原理と宇宙論』

Kindle版を読んだ。
青木薫といえばサイモン・シンの著作の翻訳がよかったので読んでみたのだが、翻訳がよいからといって必ずしも自著もよいとは限らないのだなあ。
古代の(といっても地理的にはバビロニアギリシア〜ヨーロッパに限定されているが)宇宙論においては天動説が受け入れられていたのと同じように人間中心主義が根底にあり、そのようないわば素朴な人間原理による弊害の反省として、近代以降の科学では人間原理が避けられるようになった。だが最近のひも理論に代表されるような物理学の発展、特にマルチバースの概念が受け入れられ始めたことにより、人間原理も見直されるようになってきた。という大筋についてはまあ納得はできる。
けれども、読み物としての構成が致命的なまでに悪いのと、サイモン・シン以外にもそれなりの数の科学ノンフィクションを翻訳してきたわりには論理の展開があやしいときがたまにあるのが残念だった。例えば、ダーウィンの進化論が目的論的であると受け取れるような記述や、量子力学に関する説明の不備などが挙げられる。とくに後者がわかりづらい。長くなるので引用はしないが、この説明でわかる人はもうすでにわかっている人であり、わからない人はやはりわかないままで終わってしまうんじゃないだろうか。
また、細かいことだけれども、後半の「デフォルト」という言葉の使い方が気になった。「理論的にはもはやデフォルト」というのは、用法として間違えていないか。むしろ「デファクト・スタンダード」などとすべきなんじゃないか。
とはいえ、終章の、科学的思考法はあくまでも現在のパラダイムであって、将来的にはそれも変化する可能性は否定できない、という部分には説得力が感じられた。
新書だからこれで本格的に人間原理宇宙論について学べると思う人はいないだろうけれども、雰囲気だけでも掴みたいというのが目的であれば、この本はお薦めできない。