竹内薫、竹内さなみ、新崎三幸『シュレディンガーの哲学する猫』

シュレディンガーの哲学する猫 シュレ猫とコトハ

シュレディンガーの哲学する猫 シュレ猫とコトハ

あちゃー。なんでこんなのを読もうという気になっちゃったんだろう。
シュレディンガーの猫」と「哲学」というわかりやすいキーワードの組み合わせと軽そうなカバー絵、とどめはノー科学者茂木健一郎ときて、いやこれは見た目とは逆に読んでみたら実は深い内容で……なんていうことがあったらきっと後悔するとでも思ったか!!!>おれ
小説でも漫画でも、「シュレディンガーの猫」が含意するものを正確に描写しているものはなかなかお目にかかったことはないが、この漫画も然り。「生きてもいるし死んでもいる」と表現している時点で半分がた読む意欲を失った。まあそれを言えば、観測されていないということに意味がある量子的事象を漫画のキャラとして可視化している時点で微妙なんだけど、そこは表現者の力量が試されるところであって、例えばルーディ・ラッカーの『時空ドーナツ』のような方法だってあるわけだし。
あと、ウィトゲンシュタインサルトルニーチェときて、その次がレイチェル・カーソンサン=テグジュペリってどうなの。これは20年くらい前に(漫画ではない)書籍として出たもののコミカライズのようで、調べてみたらハイデガー小林秀雄についての章もあるらしい。途中からこれじゃあ読者がついてこないからライト路線に方向転換だ、っていう大人の事情を邪推してしまっても仕方あるまい。恋愛とからめないといけないというのは、まあしょうがないかな。
それにしても、こういう本を書こう・出そうというモチベーションはどこから現われるんだろう。哲学や科学に本当に興味がある人はもうすでにそのとっかかりくらいは知っていてあとは実際にそのような(専門的な)書物なりに触れればいいだけだし、なんとなく面白そうだ・カッコよさそうだという人は、これを読んでも「わからなかった」「むずかしかった」で終わる。書評サイトの感想を見てもこれは明らか。
啓蒙的な意図があるなら、やるだけ無駄。もしこの漫画で興味を持った人が実際にいたとしても、そういう人は簡単にニューエイジとか宗教とかそっち方面に行ってしまう。無駄無駄無駄。